2020年07月21日
四畳半からの大脱走
四畳半からの大脱走
四畳半一間、共同トイレに共同炊事場・・・
というのが昔の貧しさのシンボルみたいなもんだった。
比べると、ハリウッド映画のスクリーンに映し出される
豊かさ、華やかさが眼もくらむようだった。
そういえば、劇場の帰り道の足取りがやけに重かったなあ。
それから六十年、今では多くの日本人が立派な一戸建て
やら、瀟洒な高層マンションの住人となった。
でも夢ってやつは目が覚めると同時にどこかに消えてしま
うもんですねえ。
身の回りを見渡してハッとする。
あれれ、おかしいな、こんなはずじゃなかった。
私の憧れていた暮らしはどこにある、これか。
そして・・・
所在なく爪なんかかじりながら思ってる、
やっぱり今も四畳半一間じゃないか。見た目が変わった
だけだよ。ああ〜あ。
``
計算づくめで人生の設計に励んで、答えを出したは良いが、
間違いだったんじゃないか、いや答えがじゃなく、
問題そのものが、よくあることだ。
親とか教師とかは合格点くれても、問題用紙がいい加減だ
った、そんな風なわけ。
肝心要の「私」が宙ぶらりんだったかも。
必死に社会のシステムについていった間はまだしも、
一歩踏みはずと、そこには孤島に取り残されたような底知
れない孤独が待っている。
ありとあらゆる場面に、傲り高ぶり、合理だけで考える
人間の意図が張り付いている。
それって可笑しすぎない?どっかが、でもそう思ったが
運の尽き。
例えば、山のなかでの暮らしは自分の小ささばかりを痛感
させるかもしれないが、そこには自然との一体感があるだ
ろう。
だが都市生活のレイアウトの中にはめ込まれると、主体的
に生きてきたつもりが、ボイコットされた途端に、ただの
パーツでしかなかった虚無感を味わなければならない。
そんな中で生きてきた「私」とは一体全体なんだったとい
うのか。
人生は一行のボードレールに及ばない
ってのは誰が言ったんだっけか?
``
四畳半のささやかなカプセルに今ヒビが目立ち始めて皆が
あわて始めた。
フラット、平面という四畳半。組織にはいるとまずそんな
狭いスペースに閉じ込められる。
トップダウンで、会議はあっても形だけで下っ端の意見な
ど通らないの分かってるから、最初から何も言わない。
大きな組織になればなるほどそうなる。
ある日の出の勢いのIT企業、なんと初任給一千万円という
会社では新人も一人前扱いするという。
大企業の幹部との交渉だって二十代の若さでこなさなけれ
ばならない。させればできるという。
人間というのは表面積の広さにほかならないのだという。
狭いスペースにハナから閉じ込めていては人材は育たない。
冒険とチャンレンジこそ若さには、成長には不可欠。
平面でなく球体のイメージなのだという。
なぜなら球体が最も表面積が大きいからだという。
``
こんな会社が急増すれば一時期、時代は活気を取り戻すか
もしれない。
でも球体による表面積の最大化でも何かが足りない、
何かがね、自分というものを取り戻すためには・・・。
その何かとは?みなさんはどう思いますか?