2020年07月27日

認知症と昨日のコロッケ


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認知症と
昨日のコロッケ




ビョーキだからビョーキという名がある、
のではなく
ビョーキという名があるからビョーキになる
らしい。
言葉は幾つかの記号の羅列であり、深い心象(心)のカタ
マリが、言葉という可視系列になって、心象に還る。
よって、豊かで正しい表現はメタファー(metaphor=隠喩)
抜きではありえない。
隠喩とは・・・・、
あるもので別のあるものを暗示する。
有形から無形を
瞬間から悠久を
静から動を
点から面を
分裂から統合を
対比から融合を
・・・・・・
言葉はアタマだが隠喩はこころだ。
世の賢人たちはすべからく言った。
言葉に振り回されるな!
``
ってなわけで、認知症というのは、
深い心象が、深く長い迷いの日々を経て、再び心象に還っ
たのであり、偉大なるメタファーになったというようなお
話なのだ。
したがって認知”症”という病名をつけて偉そうにふんぞり
返っているのはまことに怪しからん。
そこで考えた、認知症のコペルニクス的転回(天と地がひ
っくり返る)を。
それがすなわち、
「昨日のコロッケ」・・・ということになる。
これしかない。これこそまさしく二十一世紀を塗り替える
がごとき大発見ではないか、とはいくらなんでも大ゲサだが。
``
さてそこで、ナンデソーナルノ?という始末に当然なってくる。
答えはいたってシンプル。
イタリア語で”too late”は”トロッポ・タルデイ”であり、
聞きなれないイタリア語の”トロッポ・タルデイ”は事情を
知らない日本人の耳にはこう聞こえないでもない。
「昨日のコロッケ」
さらに好都合なことに、そう聞こえるだけではなく、
文脈としてなんとなくではあるが繋がっていないではない。
コジツケと言われようがなんと言われようが、なんとも
涙が出るくらい魅力的な命名ではないか。
それこそが最も大事なこと、所詮はたかが言葉の問題だしね。
というわけで僕の周りでは今後、認知症というフレーズは
禁句で、その代わりに「昨日のコロッケ」を通用語とする。
そしてできれば、僕がそういう次第になった時には、
少なくとも家族からは「昨日のコロッケ」と呼ばれたい、
と切望するのである。

最後に、
”too late”*ってのは僕が勝手につけた認知症の英語名
訳すと、
仕方がない、とか、何を今更、とか、それがどうした、
とかなどなど・・・

**
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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 19:48│Comments(0)アカデミー
 
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