未知との遭遇

熊本の結婚相談所むつみ会

2024年02月17日 06:36

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未知との遭遇




限界費用(コスト)が小になれば、資本も小になる。
そして、資本が小になり、いらなくなれば、当然な
がら資本主義の前提そのものがなくなり、システムは
崩壊し、他の新しいシステムに置き換わる。
資本主義は経済効率の向上を目指した限りのない競争
によって成り立っているが、その経済効率の向上が同
時に資本主義自らの首を絞めることになる。
富めるものと貧しいものがいるから不満が生まれる。
その差が大きくなるにつれ不満もまた大きくなる。
名門に生まれれば無能でも栄達できる。そうなると名門
でない人間たちの不満が募る。
そういう不満が積もりに積もるといかがなことになるか
なんて考えなくても分かる。なるようにしかならない。
世の中なんていつもそんな考えなくとも分かるようなこと
でちゃぶ台返しになる。
富めるものは富めるが故に、名門に生まれたものは名門
に生まれたがゆえに、肥満した資本は消費者と労働者を
苦しめるがゆえに自らの首を絞めることになる。、、、
、、、自業自得。
力関係でいえば前者が圧倒的有利のように見えるが、そ
れはただの錯覚でしかない。富者や名門や資本家はいて
もいなくてもいいが、貧者がいなければ富者はなく、名
門でないものがいなければ名門はなく、消費者や勤労者
がいなければ資本家ないからだ。単純明快な理屈だ。
そういう錯覚の上に乗っかった茶番劇の幕は誰が下ろすの
かといえば、当然ながら茶番の主役たちが下ろすことにな
る。幕を開けたものが幕を下ろす、、、独り相撲。
ただ秋(とき)というのはある。その秋を得るまでは待つ
というのが賢明であるだろう。然るべき人たちが然る
べき秋を得たとき時代は変わる、、、のではなく変わらざ
るを得ない。
そしてまた懲りもせず新しい茶番劇が始まるのかといえ
ば、どうも今度ばかりはそうはいかないような気がする。
権力を守るために民衆がいるわけではない。民衆を守るた
めに権力があるわけなのだが、では何から守るのか?
敵から、、、?ではその敵とは何であるのか?それこそが
我々が直面している問題に他ならない。人間の世界から敵
がいなくなればそれで済む話じゃない。人間の世界そのも
のが人間以外の全ての生命の敵となっているからだ。
その敵とは、己自身である。権力己自身が敵であるだけで
はない、民衆自身も己が敵であるというのが二十一世紀と
いう時代の構図なのである。内なる敵との接近遭遇という
のが未知なる時代の課題なのだろう。
己を知れ、という言葉が空の彼方から降ってくる。
”子曰く、過ちて、是改めざるを過ちという”
失敗から何も学ばないのは権力だけでいい。己を知れとい
う言葉は今私たち庶民の頭上に降ってきている。

限界費用(コスト)が小になれば、資本も小になる。
そして、資本が小になり、いらなくなれば、当然な
がら資本主義の前提そのものがなくなり、システムは
崩壊し、他の新しいシステムに置き換わる。
資本主義は経済効率の向上を目指した限りのない競争
によって成り立っているが、その経済効率の向上が同
時に資本主義自らの首を絞めることになる。
富めるものと貧しいものがいるから不満が生まれる。
その差が大きくなるにつれ不満もまた大きくなる。
名門に生まれれば無能でも栄達できる。そうなると名門
でない人間たちの不満が募る。
そういう不満が積もりに積もるといかがなことになるか
なんて考えなくても分かる。なるようにしかならない。
世の中なんていつもそんな考えなくとも分かるようなこと
でちゃぶ台返しになる。
富めるものは富めるが故に、名門に生まれたものは名門
に生まれたがゆえに、肥満した資本は消費者と労働者を
苦しめるがゆえに自らの首を絞めることになる。、、、
、、、自業自得。
力関係でいえば前者が圧倒的有利のように見えるが、そ
れはただの錯覚でしかない。富者や名門や資本家はいて
もいなくてもいいが、貧者がいなければ富者はなく、名
門でないものがいなければ名門はなく、消費者や勤労者
がいなければ資本家ないからだ。単純明快な理屈だ。
そういう錯覚の上に乗っかった茶番劇の幕は誰が下ろすの
かといえば、当然ながら茶番の主役たちが下ろすことにな
る。幕を開けたものが幕を下ろす、、、独り相撲。
ただ秋(とき)というのはある。その秋を得るまでは待つ
というのが賢明であるだろう。然るべき人たちが然る
べき秋を得たとき時代は変わる、、、のではなく変わらざ
るを得ない。
そしてまた懲りもせず新しい茶番劇が始まるのかといえ
ば、どうも今度ばかりはそうはいかないような気がする。
権力を守るために民衆がいるわけではない。民衆を守るた
めに権力があるわけなのだが、では何から守るのか?
敵から、、、?ではその敵とは何であるのか?それこそが
我々が直面している問題に他ならない。人間の世界から敵
がいなくなればそれで済む話じゃない。人間の世界そのも
のが人間以外の全ての生命の敵となっているからだ。
その敵とは、己自身である。権力己自身が敵であるだけで
はない、民衆自身も己が敵であるというのが二十一世紀と
いう時代の構図なのである。内なる敵との接近遭遇という
のが未知なる時代の課題なのだろう。
己を知れ、という言葉が空の彼方から降ってくる。
”子曰く、過ちて、是改めざるを過ちという”
失敗から何も学ばないのは権力だけでいい。己を知れとい
う言葉は今私たち庶民の頭上に降ってきている。



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