http://mutsumi-kai.com/
↑↑
むつみ会結婚相談室の
ホームページ&ブログ
芸術をもて、灰色の労働を燃やせ
「芸術をもて、あの灰色の労働を燃やせ!」
といったのは誰だったっけかな?
思えば長い歳月をただ労働のためだけに費やしてきたよう
な気がする。当たり前のように、なんの疑問も抱かずに。
労働に背を向けると”人間失格”の烙印を押された。
しかしである、この歳になって来し方を振り返ると、ただ
ウソ寒い風が心の中を吹きすぎてゆく。生活とは・・・労
働であり、そして労働とは、お金を稼ぐこと以外の何物で
もなかった。お金を稼がなければ家族が生きていけなかった
から?そして、お金を稼げば稼ぐほどに自分というものを見
失っていったような気がする。
働けば働くほど自分を見出していくことにつながっていかな
ければならないのに現実は、働けば働くほどお金の奴隷と
化し、無感動のロボットになっていった。
よし無感動のロボットになっても、それが世のため人のため
になるのなら可としよう。だがまさにその点において疑問符
が突きつけられだしたのが二十一世紀という時代であったよ
うな気がしてならぬ。
”労働”とは、経済学では生産に向けて行う人間の活動、とい
うことになる。だが個人レベルでいえば、与えられた仕事を
文句タラタラでこなすことに他ならず、どこかから材料を与え
られて、どこの誰が使用し消費するのかも皆目わからない生産
をすることでしかない。
確信をもっていうのだが、高度経済成長以来ずっと我々は幸
福というものから見放されていった。ただ少なくとも不幸で
はなかった、というだけのことでしかなかった。幸福ではな
く不幸でもない、という宙ぶらりんの中で生きてきた。
大地と自然からは、費やした労働の対価が返ってくるわけで
はない。そもそも対価という観念がない。そもそも対価とい
う観念があれば地球はとっくの昔に破滅していた。
与えるとは、他人に何かを与えることではない。それは自分
自身に実りを与え、そこに何ものにも代え難い喜びがあるこ
とである。
愛するとは、愛されるために愛するのではなく、愛するとい
う心の動き自体が、自分を活性化し、豊かな気持ちにさせる。
相思相愛とはギブアンドテイクのことではなく、ギブアンド
ギブのことである。結婚四十二年苦楽を共にしてたどり着い
た心境が今ここにある。
”芸術”とは何であるか?自分の心と体を動かすことで、ロボッ
トにも奴隷にもならないことで、自分も他人も、そして生き
とし生けるありとあらゆるものを疎外しないことである。
合理とは算式のようなものであるが、芸術はその対極にあって
我々の人生を創造していくものであり、合理という箱庭のよう
な狭苦しい密室から心を開放していく。
そういう意味からすれば、大地と自然は芸術でもあり、音楽で
あり、絵画であり、果てしのない物語のようなものである。
http://mutsumi-kai.com/
↑↑
むつみ会結婚相談室の
ホームページ&ブログ