http://mutsumi-kai.com/ ↑↑むつみ会結婚相談室のホームページ&ブログ
理念なき国家&時代
(仁義なき戦い)
理念なき国家は衰退する。衰退する国家は理念を捨てる。
トランプ政権の米国は後者であろう。前者の代表格は日本
なのかな?では、理念なき時代とは?
市場経済の終末を前にして、なりふり構わぬ仁義なき戦いの
幕が切って落とされたということか。生き残りの戦いとい
うより、どちらがより息が続くかということで、欲も得もな
い泥沼の戦い。
そもそも”理念”というフレーズ自体が限りなく怪しかった。
リベラルかコミュニズム寄りかという二択の”理念”でしか
なく、よって、経済という分母である理念自体が俎上に乗る
ことはついぞなかった。さて・・・・・
経済人類学者のジェイソン・ヒッケルによれば、
「資本主義は自然や身体をモノと見なして”外部化”し、搾取
することで成立している、”ニーズを満たさないことを目的と
したシステム”である」という。
モノさえあれば、バラ色の世の中と人生が約束されるという
幻想に取り憑かれたのが今までの時代だった。GDPによって
私たちの幸福度が計られた。笑顔のない架空の幸福を私たち
は公私が一つになって遮二無二目指してきた。
しかし自分の幸福しか頭にない幸福なんてあるはずがない。
幸福とは共有するものであり、分かち合うものだという当た
り前のことから私たちの目を逸らしたのが経済万能の理念だ
った。そう僕は思うし、他の人たちだってなんとなく。
いや、欧米諸国以外の人たちにはそこはかとない違和感が
あったはずだ。モノが我が物顔で闊歩する世の中なんておか
しいだろう、って。
なぜなら欧米以外の人々(特に日本人)の世界観は全体論的
であり、たとえば、仏様は私たちの心の中にあり、その心の
中の仏様に近づくことこそが生きる目的であり、至福につな
がると考える。のみならず、その仏さまは森羅万象のなかに
眠っている、と考える。であるからどんな理由をつけようと
やたらな真似はできない。誰に対しても何に対しても。
それに対し、欧米の人々は二元論的な世界観を持っており、
創造主の神と、その神によって創造された人間とは全く別の
ものであり、のみならず、人間と人間以外の森羅万象を同じ
次元にあるものとは決して考えない。外界のものは人間にな
れないし、人間は神にはなれない。近づくことさえできない。
デカルト以来、精神と物体(自然)を別のものと捉え(物心
二元論)、さらにニュートンの万有引力の法則は身体や外界
の一切を数量化できると考えた。というのが近代経済の理論
的な基盤となったのである。
そういう理論的基盤から派生したイデオロギーにすぎないリ
ベラリズムという思想をあえて捨て去ろうとしているのがト
ランプ政権下の米国というわけである。しかし、経済という
理念そのものを見直さない限りはどうにもならないという発
想は絶対に出てきようがない。だとすると、理念にこだわる
国民と、こだわらない国民によって第二の内戦が起こる可能
性だってありうるだろう。二元論は戦いでしか決着をつける
ことができない。
では私たちの国日本はどうなのかというと、、、、
維新以来欧米的価値観を無反省に猿真似したばかりに、非欧
諸国からは黄色いサルと揶揄されてきた。しかし所詮は猿真
似の付け焼き刃にすぎないから、ヒトがサルに化けただけの
一幕である。だからまだしも救いがある。サル山から降りれ
ばどうにかなる、、かもしれない。アバター(分身)みたいな
ものだから・・・・。
「存在」とは・・・どこで生まれ、誰に誰とともに育てられ
たか、さらにその誰は誰にどこで育てられたか。それがあな
たをあなたとして存在させているし、長い物語のエピローグ
であり、同時にプロローグである。あなたがどう思おうと、
良くも悪しくも物語はあなたを通過点として後々まで続いてい
く、多分永遠に、、、、。それが存在するということの意味なの
だと思う。文化といってもいいかもしれない。
あなたや僕が今サルに見えたとしても、私たちの存在はサルで
はない。そのことを肝に銘じて未来に向かおうではないか。
http://mutsumi-kai.com/
↑↑
むつみ会結婚相談室の
ホームページ&ブログ