2017年06月09日
オバケのガッコ―

オバケのガッコ―
僕は孫のハル君を保育園に迎えに行く時は
たっぷりと道草をします。ママもパパもそう。
もうすぐ寝返りかという、とってもおしゃべりな
美空ちゃんをあやすときもそう。
子どもの気持ちに寄り添い、その目線で森
羅万象を眺め、飽くことのない好奇心と一緒に
その子ども時代に自分がかえります。
これだけは人が何といおうと譲れません。
僕は昔からいわれのない押しつけは大嫌いで
した。
吸うなといわれればタバコを吸い、
飲むなといわれれば酒を飲んだ。
子ども時代あんなに心弾んだあれやこれや、
それらが年々歳々砂を噛むような日々へと埋
もれてゆくやりきれなさ。
僕は嫌なものは嫌だし好きなものは好き。
それが人間としての自然体な生き方だと思う。
六十八歳の今だってそうです。でなけりゃこの年齢
で英語と仏語とスワヒリ語をマスターしたいなんて
思いません。
昔テレビ番組で、あの石原慎太郎氏が、中学生
との討論で、数学なんて将来何の役に立つのか分
からないという質問に、
芥川賞作家がこう説教していました。
それは君の単なる甘えだ、
面白くなくても問題を解いてゆくことで忍耐力を養
うことが出来る、というのです。
バッカじゃなかろうと思いました。
忍耐力なんてそんなもん、肉体労働を1週間もす
りゃいやというほどつくよ。
そんなの肉体労働を経験してない人間の机上の
思いません。
昔テレビ番組で、あの石原慎太郎氏が、中学生
との討論で、数学なんて将来何の役に立つのか分
からないという質問に、
芥川賞作家がこう説教していました。
それは君の単なる甘えだ、
面白くなくても問題を解いてゆくことで忍耐力を養
うことが出来る、というのです。
バッカじゃなかろうと思いました。
忍耐力なんてそんなもん、肉体労働を1週間もす
りゃいやというほどつくよ。
そんなの肉体労働を経験してない人間の机上の
空論に過ぎません。
それ以来石原慎太郎がどんなにモテはやされても
ニセモノっぽくしかみえなくなりました。
それというのも人間には聞くと、見ると、するの
三つの「知」があります。
ヒトは学問によって「経験知を」なくしたから,
実は退化したのかもしれません。
そういった視点から、いわゆるインテリジェンスにも、
条件付きの評価しか、与えられなくなりました。
それ以来石原慎太郎がどんなにモテはやされても
ニセモノっぽくしかみえなくなりました。
それというのも人間には聞くと、見ると、するの
三つの「知」があります。
ヒトは学問によって「経験知を」なくしたから,
実は退化したのかもしれません。
そういった視点から、いわゆるインテリジェンスにも、
条件付きの評価しか、与えられなくなりました。