2016年04月06日
秋風の狂詩曲⑮上海へ
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秋風の狂詩曲⑮上海へ
そういうと、もの憂げな横顔をみせて静寂が奔った。
背後を笑い声をたてながら、フランス人らしい老夫
婦が通り過ぎた。
シャンソンのレコードを学校で聴いた時の、あの濁音
のない歌声を思い出した。
私がこれから赴こうとしている街とは、一体どういう
ところなのだろう。
そこでどういう人たちが、どういう出来事が、どういう
風景が待ち構えているのだろう。
そんな想像などしたこともなかった。日本陸軍の軍服に
日本刀を携えて椅子に座った、良人の写真を見たっきり
である。
仄かな思いをよせた男性こそいたが、恋愛結婚など思い
も寄らない時代だった。
それだけに周囲の猛烈な反対を
押し切った、今は亡き実父母の恋愛ストーリーが、
えもいえず甘美なものに思われる。
横顔のまま鄭という貴婦人が,独白のように文子に訊ねた。
「あなたは特務機関というのはどういう任務を果たす
ところなのか、ご存知・・・?」
「いいえそれがよく分かりませんの。ただ大本営などに属
さない独立した組織ということは教えていただきました。」
「そうでしょうね、でなければ軽々と口にするわけがないん
ですもの。
それでは上海が今の国際情勢の中で、どういう重要なところで、
租界がなにかもご存じないのね。
それじゃあ、さぞや驚かれるでしょう。
あなたが今まで住んでいた土地と比べれば、まるで異界ですわ」
「いいえ,あなたを脅すつもりではないことよ。
まあ住み慣れれば、ほかの街は退屈で死にそうになることは
約束していいわ。」
(つづく)
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秋風の狂詩曲⑮上海へ
そういうと、もの憂げな横顔をみせて静寂が奔った。
背後を笑い声をたてながら、フランス人らしい老夫
婦が通り過ぎた。
シャンソンのレコードを学校で聴いた時の、あの濁音
のない歌声を思い出した。
私がこれから赴こうとしている街とは、一体どういう
ところなのだろう。
そこでどういう人たちが、どういう出来事が、どういう
風景が待ち構えているのだろう。
そんな想像などしたこともなかった。日本陸軍の軍服に
日本刀を携えて椅子に座った、良人の写真を見たっきり
である。
仄かな思いをよせた男性こそいたが、恋愛結婚など思い
も寄らない時代だった。
それだけに周囲の猛烈な反対を
押し切った、今は亡き実父母の恋愛ストーリーが、
えもいえず甘美なものに思われる。
横顔のまま鄭という貴婦人が,独白のように文子に訊ねた。
「あなたは特務機関というのはどういう任務を果たす
ところなのか、ご存知・・・?」
「いいえそれがよく分かりませんの。ただ大本営などに属
さない独立した組織ということは教えていただきました。」
「そうでしょうね、でなければ軽々と口にするわけがないん
ですもの。
それでは上海が今の国際情勢の中で、どういう重要なところで、
租界がなにかもご存じないのね。
それじゃあ、さぞや驚かれるでしょう。
あなたが今まで住んでいた土地と比べれば、まるで異界ですわ」
「いいえ,あなたを脅すつもりではないことよ。
まあ住み慣れれば、ほかの街は退屈で死にそうになることは
約束していいわ。」
(つづく)
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2016年04月05日
秋風の狂詩曲⑭上海へ
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秋風の狂詩曲⑭上海へ
眼と眼が合う。
どちらからともなく微笑みあう。
年齢は文子より少し若いように見受けられるが
その美貌たるや輝かんばかりとはこいうのをい
うのだろうと、文子は内心思った。
見つめられだけで,同性ながら
胸がときめき、文子は思わず頬を染める。
「お奇麗ね、日本の方かしら」
以外にも流暢な日本語が美しい唇から漏れ出る。
「ええ、九州は佐賀県の唐津という田舎町から
これから上海へ向かうところです。」
奇麗ねと,自分がいわなければならぬことを,
先手を打たれた恰好で、少しどぎまぎしながら
小さな声で応える。つい田舎町と言わずもがなの
ことをしゃっべってしまったことを後悔する。
「上海へと申しますとお仕事の方で・・・・?」
「いえ、上海租界におります夫の元へ嫁いでい
くところですわ」
「まあそれは,羨ましいこと。一等船室でご一緒
出来たところをみますと、ご主人は実業家でい
らっしゃるのかしら?あら,ごめんなさい初対面
なのにこんなことまで。」
と謝りつつも、邪鬼が感じられないし、美貌を忘
れさせる人なつっこさがある。
「いえ,日本陸軍の特務機関でなにか大事な仕事を
しているんだときいています。」
特務機関というところで,ほんの一瞬目つきが変わ
ったことに文子は気がつかなかった。
「あなたは日本の方ですか?どちらまでおいでですの」
「あら,ごめんなさい。私母が日本人で父は中国人で
鄭といいます。東京の大学の休暇で香港に帰省すると
ころですの。」
(つづく)
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秋風の狂詩曲⑭上海へ
眼と眼が合う。
どちらからともなく微笑みあう。
年齢は文子より少し若いように見受けられるが
その美貌たるや輝かんばかりとはこいうのをい
うのだろうと、文子は内心思った。
見つめられだけで,同性ながら
胸がときめき、文子は思わず頬を染める。
「お奇麗ね、日本の方かしら」
以外にも流暢な日本語が美しい唇から漏れ出る。
「ええ、九州は佐賀県の唐津という田舎町から
これから上海へ向かうところです。」
奇麗ねと,自分がいわなければならぬことを,
先手を打たれた恰好で、少しどぎまぎしながら
小さな声で応える。つい田舎町と言わずもがなの
ことをしゃっべってしまったことを後悔する。
「上海へと申しますとお仕事の方で・・・・?」
「いえ、上海租界におります夫の元へ嫁いでい
くところですわ」
「まあそれは,羨ましいこと。一等船室でご一緒
出来たところをみますと、ご主人は実業家でい
らっしゃるのかしら?あら,ごめんなさい初対面
なのにこんなことまで。」
と謝りつつも、邪鬼が感じられないし、美貌を忘
れさせる人なつっこさがある。
「いえ,日本陸軍の特務機関でなにか大事な仕事を
しているんだときいています。」
特務機関というところで,ほんの一瞬目つきが変わ
ったことに文子は気がつかなかった。
「あなたは日本の方ですか?どちらまでおいでですの」
「あら,ごめんなさい。私母が日本人で父は中国人で
鄭といいます。東京の大学の休暇で香港に帰省すると
ころですの。」
(つづく)
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2016年04月04日
秋風の狂詩曲⑬上海へ
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秋風の狂詩曲⑬上海へ
大きなダイニングホールでディナーをとるように
なっている。
ナイフとフォークは初めての経験なので、恥をかかな
いように冷や汗ものだった。
迂闊にも今更気がついたのだが、上海丸には一等室
から、三等室まである。
文子のブースは一等室であった。今まで見たこともな
いような,着飾った白人の紳士淑女ばかりで、
どこの国のやらチンプンカンプンの言葉が、
テーブルを飛び交う。どうも日本と上海を往復する
定期便というわけではないようである。
憧れの客船での最初のディナーはそういう訳で、食べ
た気がしない。
そもそもビーフステーキなど口にしたことがなかった
くらいだから味わう余裕などさらさらない。
途中長崎に寄港して、船は一路東シナ海を上海へと
上海へと東上する。風に流されてゆく汽笛の響きが
旅情をそこはかとなく掻き立てる。
秋晴れの好天につられるように、大勢の人たちが
デッキで思いも思いに過ごしている。
文子もまた青い空に向かって大きな伸びをして、
欄干にもたれて、みるともなく凪の海を眺める。
唯一舳先が立てた白い波頭が放射線状に広がっては、
後方に航跡を残して行く。
時おりトビウオが跳ね、カモメが白い羽をひるがえ
らせる。
ふと気がつくと隣に、最近流行だというワンピース
の純白の裾割れの支那服をまとった夫人の美しい
横顔があった。
(つづく)
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秋風の狂詩曲⑬上海へ
大きなダイニングホールでディナーをとるように
なっている。
ナイフとフォークは初めての経験なので、恥をかかな
いように冷や汗ものだった。
迂闊にも今更気がついたのだが、上海丸には一等室
から、三等室まである。
文子のブースは一等室であった。今まで見たこともな
いような,着飾った白人の紳士淑女ばかりで、
どこの国のやらチンプンカンプンの言葉が、
テーブルを飛び交う。どうも日本と上海を往復する
定期便というわけではないようである。
憧れの客船での最初のディナーはそういう訳で、食べ
た気がしない。
そもそもビーフステーキなど口にしたことがなかった
くらいだから味わう余裕などさらさらない。
途中長崎に寄港して、船は一路東シナ海を上海へと
上海へと東上する。風に流されてゆく汽笛の響きが
旅情をそこはかとなく掻き立てる。
秋晴れの好天につられるように、大勢の人たちが
デッキで思いも思いに過ごしている。
文子もまた青い空に向かって大きな伸びをして、
欄干にもたれて、みるともなく凪の海を眺める。
唯一舳先が立てた白い波頭が放射線状に広がっては、
後方に航跡を残して行く。
時おりトビウオが跳ね、カモメが白い羽をひるがえ
らせる。
ふと気がつくと隣に、最近流行だというワンピース
の純白の裾割れの支那服をまとった夫人の美しい
横顔があった。
(つづく)
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2016年04月03日
秋風の狂詩曲⑫上海へ
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秋風の狂詩曲⑫上海へ
東シナ海を南下東上することニ泊の船旅であった。
唐津港(外港)に停泊する,大きな遠洋の貨物船
を見たことはあった。
旅客船が繋留することはたまにしかなかったが、
出くわした時など、胸を躍らせたものだった。
水平線のさらに向こうにある、はるかな異国の地を
思っては、胸を躍らせた。
図書館で見た、世界地図のなかの日本という島国の
ちっぽけさを思い、
さらに自分の生まれ育った世間の、鉛筆の芯のような
あるかなしさを思った。
水平線を見たことはあっても、いけどもいけども地平線
しかない大陸の広大さなど、
いかに言葉で説明されても、あたまのなかの物差しでは
計ることなどできなかった。
大陸雄飛といったとて,支那の向こうにはヨーロッパ
までの陸路がどこまでも続いていた。
20歳を少し過ぎたばかりの文子はもちろん、
故郷のほとんどの人たちは生まれて死ぬまで、
海といえば玄界灘だった。都会といえば、博多であり、
西新の賑やかなビル街だった。
太平洋など海とは異なる得体の知れない何ものかであった。
その十年後に、太平洋の彼方にあるアメリカという
とてつもない大国と戦争になるなど思いも寄らなかった。
真珠湾攻撃のニュースを耳にしたときは、
心底冗談だとしか思えなかった。
多分当時支那にいた日本人たちはそういう
実感にかられたたに違いない。
それほどこれから文子が嫁ごうとする支那大陸は、
想像を絶するスケールの大きさであり、そういう視点の欠如
が無謀な戦いを生み出したのかもしれない。
(つづく)
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秋風の狂詩曲⑫上海へ
東シナ海を南下東上することニ泊の船旅であった。
唐津港(外港)に停泊する,大きな遠洋の貨物船
を見たことはあった。
旅客船が繋留することはたまにしかなかったが、
出くわした時など、胸を躍らせたものだった。
水平線のさらに向こうにある、はるかな異国の地を
思っては、胸を躍らせた。
図書館で見た、世界地図のなかの日本という島国の
ちっぽけさを思い、
さらに自分の生まれ育った世間の、鉛筆の芯のような
あるかなしさを思った。
水平線を見たことはあっても、いけどもいけども地平線
しかない大陸の広大さなど、
いかに言葉で説明されても、あたまのなかの物差しでは
計ることなどできなかった。
大陸雄飛といったとて,支那の向こうにはヨーロッパ
までの陸路がどこまでも続いていた。
20歳を少し過ぎたばかりの文子はもちろん、
故郷のほとんどの人たちは生まれて死ぬまで、
海といえば玄界灘だった。都会といえば、博多であり、
西新の賑やかなビル街だった。
太平洋など海とは異なる得体の知れない何ものかであった。
その十年後に、太平洋の彼方にあるアメリカという
とてつもない大国と戦争になるなど思いも寄らなかった。
真珠湾攻撃のニュースを耳にしたときは、
心底冗談だとしか思えなかった。
多分当時支那にいた日本人たちはそういう
実感にかられたたに違いない。
それほどこれから文子が嫁ごうとする支那大陸は、
想像を絶するスケールの大きさであり、そういう視点の欠如
が無謀な戦いを生み出したのかもしれない。
(つづく)
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2016年02月11日
秋風の狂詩曲⑪上海へ
むつみ会結婚相談室

秋風の狂詩曲⑪上海へ
文子はといえば、こんなに肉親と縁の薄い娘もそう
いない。父の死後、遠縁である松本家にこどもがで
きなかったので、養子になった。
生みの親より育ての親というが、物心つかなかった
文子にとって松本の母が実の母か、それ以上だった
かもしれない。
不憫さも手伝ったろうが、文子を心からかわいがっ
てくれた。
わざわざあったかいお弁当をお昼に持ってきてくれ
るような母であった。
その松本の母も文子が14歳の折りに亡くなった。
実の母については大きくなってから噂にきくばかり
だった。
文子にとっての母は死ぬまで松本の母の他にはなか
った。その後は唐津のさらに遠縁の家に寄宿して通
学した。
十数人居た家の子どもたちと兄弟同様に育った。
唐津の網元だった田中家である。
当時は医療制度も無いに等しかったので,重病になれ
ば半ば死を覚悟しなければなかった。
だから文子のようなケースも少なくなかったが、
親がなくても子は育つという言葉にはこういう、
伝統的な相互扶助の文化があった意味合いもある
それにつけても文子はとりわけ幸運だったろう。養子
にいくとこいくとこ我が子同然だったのだから。
そういういきさつもあって、唐津、呼子には故郷とし
てのノスタルジーがひときわ強かった。
幼い頃離郷した僕たち兄弟にとっても懐かしくて涙が
でそうなほどだったから、
上海に嫁ぐ母のの心境はいかばかりであったか想像す
るに余りあるのである。
(つづく)
むつみ会結婚相談室
秋風の狂詩曲⑪上海へ
文子はといえば、こんなに肉親と縁の薄い娘もそう
いない。父の死後、遠縁である松本家にこどもがで
きなかったので、養子になった。
生みの親より育ての親というが、物心つかなかった
文子にとって松本の母が実の母か、それ以上だった
かもしれない。
不憫さも手伝ったろうが、文子を心からかわいがっ
てくれた。
わざわざあったかいお弁当をお昼に持ってきてくれ
るような母であった。
その松本の母も文子が14歳の折りに亡くなった。
実の母については大きくなってから噂にきくばかり
だった。
文子にとっての母は死ぬまで松本の母の他にはなか
った。その後は唐津のさらに遠縁の家に寄宿して通
学した。
十数人居た家の子どもたちと兄弟同様に育った。
唐津の網元だった田中家である。
当時は医療制度も無いに等しかったので,重病になれ
ば半ば死を覚悟しなければなかった。
だから文子のようなケースも少なくなかったが、
親がなくても子は育つという言葉にはこういう、
伝統的な相互扶助の文化があった意味合いもある
それにつけても文子はとりわけ幸運だったろう。養子
にいくとこいくとこ我が子同然だったのだから。
そういういきさつもあって、唐津、呼子には故郷とし
てのノスタルジーがひときわ強かった。
幼い頃離郷した僕たち兄弟にとっても懐かしくて涙が
でそうなほどだったから、
上海に嫁ぐ母のの心境はいかばかりであったか想像す
るに余りあるのである。
(つづく)
むつみ会結婚相談室
2016年02月10日
秋風の狂詩曲⑩上海へ
秋風の狂詩曲⑩上海へ
文子は、親友の松江もだが、特に原先生の枕草子の
授業が好きであった。
”春はあけぼの やうやう白くなりゆく 山ぎは
少しあかりて むらさきだちたる 雲のほそく
たなびきたる・・・”
やまとのくにの四季にむかう女らしい感性と、流れる
ような仮名づかいにうっとりしたものだ。
原先生の卒業論文も清少納言だったらしく、何度も
音読した。当時の社会背景なども交えた授業は、文子
を時をはるかにこえてかの時代に連れ去った。
文子は父母を早くに亡くした。この小さな町で起こっ
た大恋愛事件は伝説のようなものであった。
それは他ならぬ文子の父と母のことである。
父は娘たちの噂の的の若くて粋な腕利きの大工の棟梁
であり、
母は元松前藩士の、いわゆる当時の士族の箱入り娘で
あった。
その二人がひょんなことから恋仲になったのである。
何せ片田舎のことであるから、
恋愛は無論、士族の娘と大工とでは身分が違いすぎた。
そういう周囲の大反対を押し切って所帯を持ったので
ある。
母が早逝すると、父も後を追うように亡くなった。後
に子どもが残った。文子の歳の離れた兄は実家に引き
取られ、跡継ぎということになった。
中々の秀才で寄宿して福岡中学に通っていたが結核で
早逝した。
その兄とは一度だけ中学時代帰省したときに会った。
長身を学帽と黒いマントで包んだ姿が誇らしかったの
をありありと思い出す。
姉は福岡の実業家に嫁いだ。姉とは戦後、上海から引
き上げてからもよく往来していた。
2016年02月09日
秋風の狂詩曲⑨上海へ
秋風の狂詩曲⑨上海へ
朝方門司港を出航した上海丸は、玄海灘を南上
している。
見上げれば、日本晴れの空に一朶の雲片が心地
よさそうにたゆとうている。
海は朝な夕なに見慣れた玄海のあの濃紺色がわ
ずかに白く波だっている。
デッキに出た文子は、東の方角に双眸を凝らす。
ほんの僅かではあるが海の色ではない影が落ち
ている。
ひょっとしたら呼子の岬かもしれない、と思っ
た矢先、そこからピカリと太陽の反射光が奔っ
た。
やっぱりだわ岬の灯台、呼子の町だわ。
思い出がいっぱいにつまった、その磯の匂い
がただよう小さな港町を、昨日の朝旅立ったば
かりであった事実が、言い聞かせなければ肯ん
じられない。
定期馬車で唐津の町に出てから蒸気機関車で
門司港へたどり着き,一泊したのであった。
「マっちゃんは今頃なにをしてるんだろう?」
そう思うと早くも望郷の念が滲む。マっちゃん
こと松江は幼馴染で無二の親友である。
あの灯台のある岬のなだらかな斜面になっている
草原に寝そべっては、
なんでもない話のあれこれで笑い転がり、
最後はお互いの夢を語りあった。
話せば話すほど夢は広がっていった。
文子の夢は師範学校にはいって教職につくことで
あった。
女子師範学校出の原先生の、溌剌とした立ち居振
る舞いや、東京での暮らしのことや、
乙女らの純白な魂を鼓舞するような授業は、
教室のみんなを有頂天にさせ、憧れの的になった。
2015年12月29日
秋風の狂詩曲その8
熊本の婚活、熊本の結婚相談、熊本のお見合いなら
むつみ会結婚相談室

秋風の狂詩曲その8
「真実にしたがえば力がある」
(コリント書)
サイエンスは疑うこと(懐疑)から始まります。
なぜなら言葉は嘘をつくからです。
言葉は何より、嘘をつくのに便利なツールで、
真実を表現するのに、
こんなに頼りないツールはないからです。
真実から始まり、積み上げられたものでなければ
世界をいい方向に導くプランは実現できません。
顔が見える同士であれば嘘は見抜かれます。
しかし言葉がそれを語った本人から、
離れたときどうなるでしょう?
世界中をそんな真実から遊離された言葉が、幽
霊のように浮遊しています。デマゴーグです。デマ
ゴーグなき外交も戦争もありません。
だからたとえばシリアの現況の真実を知りたいと思
うなら、関連ニュースを全て疑ってみる事です。
つまり発信者の主観を・・・です。
そして真実にアクセスしようという強い意思を僕
たちは持つべきなのだと思います。
なぜなら今現に、僕たちは何も知らされないまま、
シリアでおこっている戦争に巻きこれそうになっ
ているではありませんか?
そんなバカな事はありません。でも、
現にそのバカな事がリアリティを持ち始めました
今の中東情勢は様々な国の思惑や利権やこれまでの
経緯などがかさなり、もつれた糸状態です。
1937年から始まった日中、日米へと続く日本の
戦争をめぐる状況は、それよりずっと複雑なもので
した。
そういう生きた真の情報をいち早く知り、大本営の
戦略の基礎資料とするのが、いわば父たち特務機関
の職務でした。
(つづく)
熊本の婚活、熊本の結婚相談、熊本のお見合いなら
むつみ会結婚相談室
むつみ会結婚相談室
秋風の狂詩曲その8
「真実にしたがえば力がある」
(コリント書)
サイエンスは疑うこと(懐疑)から始まります。
なぜなら言葉は嘘をつくからです。
言葉は何より、嘘をつくのに便利なツールで、
真実を表現するのに、
こんなに頼りないツールはないからです。
真実から始まり、積み上げられたものでなければ
世界をいい方向に導くプランは実現できません。
顔が見える同士であれば嘘は見抜かれます。
しかし言葉がそれを語った本人から、
離れたときどうなるでしょう?
世界中をそんな真実から遊離された言葉が、幽
霊のように浮遊しています。デマゴーグです。デマ
ゴーグなき外交も戦争もありません。
だからたとえばシリアの現況の真実を知りたいと思
うなら、関連ニュースを全て疑ってみる事です。
つまり発信者の主観を・・・です。
そして真実にアクセスしようという強い意思を僕
たちは持つべきなのだと思います。
なぜなら今現に、僕たちは何も知らされないまま、
シリアでおこっている戦争に巻きこれそうになっ
ているではありませんか?
そんなバカな事はありません。でも、
現にそのバカな事がリアリティを持ち始めました
今の中東情勢は様々な国の思惑や利権やこれまでの
経緯などがかさなり、もつれた糸状態です。
1937年から始まった日中、日米へと続く日本の
戦争をめぐる状況は、それよりずっと複雑なもので
した。
そういう生きた真の情報をいち早く知り、大本営の
戦略の基礎資料とするのが、いわば父たち特務機関
の職務でした。
(つづく)
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むつみ会結婚相談室
2015年12月18日
秋風の狂詩曲その7、上海にて
熊本の婚活、熊本の結婚相談、熊本のお見合いなら
むつみ会結婚相談室

秋風の狂詩曲その7、上海にて
最早一刻の猶予も許されない。これほどの難事業、
それも命がけにもかかわらず自己資金は、
軍から出ない以上、何もかもが他人頼みであった。
希望はたった一本の、信頼という一本の綱、
それも中国人である。
父は大人の自分への信頼に身命をかけた。
もしだめであればその場で自決するくるくらいの
覚悟はできていた。
だが全ては杞憂であった。さすがは地下組織の大物、
全て筒抜けだった。
自分のところへ、野田さんは来るだろうと、朝から
待ち構えていたのだ。
「資金も人間も目星はつけた、後は野田さんの指示
を待つだけです」
父は感涙にむせぶより前に、唖然となった。
「私たち中国人は日本だろうが、国民政府だろうが、
中共だろうが、英国だろうが同じ事です。そんなも
のがどんなにあてにならないか知っています。
信じるのは私たちが選んだ人間だけです。
そして私は野田中尉、いや元日本陸軍特務機関の
野田さん、あなたを選びました。
選び信じた以上私たちはもう今から一心同体です。」
日本にも意気に感ずという言葉があるが、
これはまるでスケールが違う。
父はこの広大無辺のような大陸の地から、狭い母国に
思いを馳せた。
価値観や文化の違いというのは、頭で分かっていても、
こういう局面で鮮烈な実感として思い知らされる。
支那服で装った父は、中国式で丁寧に礼儀を顕わすや、
早速打ち合わせに入った。なんせこの戦時に百台以上
のトラックと数百人に及ぶ命知らずを集めなければな
らないのだった。
(つづく)
熊本の婚活、熊本の結婚相談、熊本のお見合いなら
むつみ会結婚相談室
むつみ会結婚相談室
秋風の狂詩曲その7、上海にて
最早一刻の猶予も許されない。これほどの難事業、
それも命がけにもかかわらず自己資金は、
軍から出ない以上、何もかもが他人頼みであった。
希望はたった一本の、信頼という一本の綱、
それも中国人である。
父は大人の自分への信頼に身命をかけた。
もしだめであればその場で自決するくるくらいの
覚悟はできていた。
だが全ては杞憂であった。さすがは地下組織の大物、
全て筒抜けだった。
自分のところへ、野田さんは来るだろうと、朝から
待ち構えていたのだ。
「資金も人間も目星はつけた、後は野田さんの指示
を待つだけです」
父は感涙にむせぶより前に、唖然となった。
「私たち中国人は日本だろうが、国民政府だろうが、
中共だろうが、英国だろうが同じ事です。そんなも
のがどんなにあてにならないか知っています。
信じるのは私たちが選んだ人間だけです。
そして私は野田中尉、いや元日本陸軍特務機関の
野田さん、あなたを選びました。
選び信じた以上私たちはもう今から一心同体です。」
日本にも意気に感ずという言葉があるが、
これはまるでスケールが違う。
父はこの広大無辺のような大陸の地から、狭い母国に
思いを馳せた。
価値観や文化の違いというのは、頭で分かっていても、
こういう局面で鮮烈な実感として思い知らされる。
支那服で装った父は、中国式で丁寧に礼儀を顕わすや、
早速打ち合わせに入った。なんせこの戦時に百台以上
のトラックと数百人に及ぶ命知らずを集めなければな
らないのだった。
(つづく)
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2015年12月09日
秋風の狂詩曲その6、上海にて
むつみ会結婚相談室

秋風の狂詩曲
その6、上海にて
1928年、首都が北京から南京に移され,
その玄関口となった上海は栄華を極めていた。
黄浦江に面して,ヨーロッパ様式のビルが林立し、
デパートのショーウィンドーには流行の商品が並び、
最新のファッションに身を包んだ男女が闊歩していた。
路面電車が走り、夜遅くまで街路灯が煌煌としていた。
誰ともなく東洋のパリと呼ぶようになった。
しかしそれは租界内の話で,そこから一歩出ると魔都
といわれ、軍閥による内戦と兵士らによる略奪暴行が
横行した。
そんな極端な二つの顔をもった、
だが不思議な魅力を醸し出す都会であったらしい。
父母が在住したのは、それから日中戦争を経て、
太平洋戦争勃発から敗戦に至るおよそ十年の期間である。
そのころの上海は列強の商社や領事館のほかに
青幇(チンパン)という中国人の秘密結社が隠然たる力
を持っていた。青幇(チンパン)の力を借りずには上海
で事を成す事は不可能といわれていた。
父はある(中国人富豪、中共化後は香港に行った)大人
を通して、青幇のシンジケートとのパイプを個人的につ
くっていた。
組織は血のつながりと形容されるほど結束が固かった。
どんな拷問にも屈しなかったのは大抵そのメンバーであった。
父は幾度か彼らを日本軍官憲の手から救ってやったことが
あった。青幇は恩義に厚く,
一度信頼したら絶対に裏切る事はない。
蒋介石、中国共産党など大小無数の軍閥も彼らに手出しで
きなかったくらいであった。
(つづく)
むつみ会結婚相談室
秋風の狂詩曲
その6、上海にて
1928年、首都が北京から南京に移され,
その玄関口となった上海は栄華を極めていた。
黄浦江に面して,ヨーロッパ様式のビルが林立し、
デパートのショーウィンドーには流行の商品が並び、
最新のファッションに身を包んだ男女が闊歩していた。
路面電車が走り、夜遅くまで街路灯が煌煌としていた。
誰ともなく東洋のパリと呼ぶようになった。
しかしそれは租界内の話で,そこから一歩出ると魔都
といわれ、軍閥による内戦と兵士らによる略奪暴行が
横行した。
そんな極端な二つの顔をもった、
だが不思議な魅力を醸し出す都会であったらしい。
父母が在住したのは、それから日中戦争を経て、
太平洋戦争勃発から敗戦に至るおよそ十年の期間である。
そのころの上海は列強の商社や領事館のほかに
青幇(チンパン)という中国人の秘密結社が隠然たる力
を持っていた。青幇(チンパン)の力を借りずには上海
で事を成す事は不可能といわれていた。
父はある(中国人富豪、中共化後は香港に行った)大人
を通して、青幇のシンジケートとのパイプを個人的につ
くっていた。
組織は血のつながりと形容されるほど結束が固かった。
どんな拷問にも屈しなかったのは大抵そのメンバーであった。
父は幾度か彼らを日本軍官憲の手から救ってやったことが
あった。青幇は恩義に厚く,
一度信頼したら絶対に裏切る事はない。
蒋介石、中国共産党など大小無数の軍閥も彼らに手出しで
きなかったくらいであった。
(つづく)
むつみ会結婚相談室
2015年12月03日
秋風の狂詩曲その5
むつみ会結婚相談室

秋風の狂詩曲その5
父の決意は固まっていた。昨夜のうちしたためておいた
辞職願いを懐に局長室へと向かった。
局長のM氏は同郷の宇土市出身だった事もあり、
戦後も親交があった方である。
ただ黙って父は辞職願と書いた封筒を机上においた。
M氏は腕を組み、しばらく熟慮するように封筒を見つめて
いた。
「あの件だな・・」
「はい」
「片腕とも頼む君に辞職されるのは断腸の思いなのだ」
「はい有り難うございます、私もずっと局長の下でお役に立
ちたいと常々から思っておりました。しかしながら今回の
件だけは率爾ながら、私の役目かと判断いたしました」
「率直にいわせてもらえば、君以上、いや君以外に頼みにで
きる人材はいないのだ。脚気は、かの聯隊のみにあらず、
南方戦線に蔓延しつつある。
これが敵軍の偵察網に明らかになればどういう事になるか、
今更説明するまでもなかろう。しかもだ、」
少佐は椅子から立ち上がり,身を乗り出すように言った。
「その解決の行方は我々特務機関の双肩にかかっている。」
「はい、十分にその点は弁えております。そして率爾ながら、
M少佐が先ほど述べられたように、私が最適任者と判断し、
今朝一番にお邪魔いたした次第であります」
「迅速かつ極秘に完遂しなければならないのだが、そうなると、
支那人の組織を当てにするしかない。
君はかの大人に絶対的な信頼を得ておる,唯一の日本人だ。
だが軍属の身分のままでは、大人も組織の動かしようがない
だろう。」
「はい、その通りであります。かの大人に対して私も不退転の
覚悟を示す事が不可欠の条件であります。
そういう訳でこうして辞職した以上、もう私は、軍属どころか、
日本人でもありません。支那の貿易商人として、一か八の命が
けの大商いをする、紀伊国屋文左衛門の心地であります。」
父はやや上気しつつも、一語々々を自分に言い聞かせるがごとく
明瞭な口調で語った。
「うむ、この大役、君に一任しよう。しかしながら軍を一旦離
れた以上、したいのは山々ながら、何一つとしてお手伝いはで
きぬ。のみならず万が一失敗したとしても、
全責任を君が背負い込む事になる。それでもいいのか」
「はい、それはM少佐に念をおされるまでもなく、本日ただいま
から私はもう日本人を捨てる気でここへやってきました。
いざとなれば支那人として一命を野に埋める覚悟はできております」
(第六話へつづく)
むつみ会結婚相談室
秋風の狂詩曲その5
父の決意は固まっていた。昨夜のうちしたためておいた
辞職願いを懐に局長室へと向かった。
局長のM氏は同郷の宇土市出身だった事もあり、
戦後も親交があった方である。
ただ黙って父は辞職願と書いた封筒を机上においた。
M氏は腕を組み、しばらく熟慮するように封筒を見つめて
いた。
「あの件だな・・」
「はい」
「片腕とも頼む君に辞職されるのは断腸の思いなのだ」
「はい有り難うございます、私もずっと局長の下でお役に立
ちたいと常々から思っておりました。しかしながら今回の
件だけは率爾ながら、私の役目かと判断いたしました」
「率直にいわせてもらえば、君以上、いや君以外に頼みにで
きる人材はいないのだ。脚気は、かの聯隊のみにあらず、
南方戦線に蔓延しつつある。
これが敵軍の偵察網に明らかになればどういう事になるか、
今更説明するまでもなかろう。しかもだ、」
少佐は椅子から立ち上がり,身を乗り出すように言った。
「その解決の行方は我々特務機関の双肩にかかっている。」
「はい、十分にその点は弁えております。そして率爾ながら、
M少佐が先ほど述べられたように、私が最適任者と判断し、
今朝一番にお邪魔いたした次第であります」
「迅速かつ極秘に完遂しなければならないのだが、そうなると、
支那人の組織を当てにするしかない。
君はかの大人に絶対的な信頼を得ておる,唯一の日本人だ。
だが軍属の身分のままでは、大人も組織の動かしようがない
だろう。」
「はい、その通りであります。かの大人に対して私も不退転の
覚悟を示す事が不可欠の条件であります。
そういう訳でこうして辞職した以上、もう私は、軍属どころか、
日本人でもありません。支那の貿易商人として、一か八の命が
けの大商いをする、紀伊国屋文左衛門の心地であります。」
父はやや上気しつつも、一語々々を自分に言い聞かせるがごとく
明瞭な口調で語った。
「うむ、この大役、君に一任しよう。しかしながら軍を一旦離
れた以上、したいのは山々ながら、何一つとしてお手伝いはで
きぬ。のみならず万が一失敗したとしても、
全責任を君が背負い込む事になる。それでもいいのか」
「はい、それはM少佐に念をおされるまでもなく、本日ただいま
から私はもう日本人を捨てる気でここへやってきました。
いざとなれば支那人として一命を野に埋める覚悟はできております」
(第六話へつづく)
むつみ会結婚相談室
2015年11月30日
秋風の狂詩曲その4
むつみ会結婚相談室

秋風の狂詩曲その4
上海での父母の新生活は順調でした。日中戦争の
最中でしたが、その2年後米国と戦端を開くとは
思いもよらなかったのでしょう。
当時の国際都市上海は、魔界都市という異名が付
いていたように、列強の居住区があり、
スパイやテロやらが当たり前かのように暗躍して
いた、危険な香りに満ちた、猥雑で刺激的な
世界有数の大都会でした。
のどかで平和そのものな、呼子という港町からはる
ばる嫁いだ母には、どんなに異界に見えた事でしょ
う。
しかし外国人には保護居住区があったので、快適な
日々の中で二人の女子(長女は病死)を出産しまし
た。
軍服姿で軍刀片手の,凛としていすに座った父と、
チャイニーズファッション(母は裾割れのチャイニ
ーズが似合ったと後年父が自慢していました。)に
身を包んだ母が幼児の姉を抱いている、
(当時としては貴重なモノクロ)写真一葉があります。
父は職掌柄中国人の財界人(大人)とも交友があり
ました。
太平洋戦争が先端を開こうかとする頃、大陸内地に
駐屯している大部隊で脚気がはやり、身動きがとれ
なくなっていました。
上海には在中軍隊の余裕がなく,窮地におちいって
いましたし、道程には匪賊や中小軍閥のごろつきが
跋扈していましたので、護衛の兵力が必要なのです。
それから運送用のトラックの絶対台数も不足してい
ました。
しかし救急に大量の茶葉を仕入れて、危険地帯を輸
送しなければならなかったのです。
兵站も特務機関の職掌の一つでしたが、余りも大規
模なのと、緊急を要するということで、官レベルで
対応できない事態になったのです。
そこで父は一世一代の決心を迫られる事となりました。
(つづく)
むつみ会結婚相談室
秋風の狂詩曲その4
上海での父母の新生活は順調でした。日中戦争の
最中でしたが、その2年後米国と戦端を開くとは
思いもよらなかったのでしょう。
当時の国際都市上海は、魔界都市という異名が付
いていたように、列強の居住区があり、
スパイやテロやらが当たり前かのように暗躍して
いた、危険な香りに満ちた、猥雑で刺激的な
世界有数の大都会でした。
のどかで平和そのものな、呼子という港町からはる
ばる嫁いだ母には、どんなに異界に見えた事でしょ
う。
しかし外国人には保護居住区があったので、快適な
日々の中で二人の女子(長女は病死)を出産しまし
た。
軍服姿で軍刀片手の,凛としていすに座った父と、
チャイニーズファッション(母は裾割れのチャイニ
ーズが似合ったと後年父が自慢していました。)に
身を包んだ母が幼児の姉を抱いている、
(当時としては貴重なモノクロ)写真一葉があります。
父は職掌柄中国人の財界人(大人)とも交友があり
ました。
太平洋戦争が先端を開こうかとする頃、大陸内地に
駐屯している大部隊で脚気がはやり、身動きがとれ
なくなっていました。
上海には在中軍隊の余裕がなく,窮地におちいって
いましたし、道程には匪賊や中小軍閥のごろつきが
跋扈していましたので、護衛の兵力が必要なのです。
それから運送用のトラックの絶対台数も不足してい
ました。
しかし救急に大量の茶葉を仕入れて、危険地帯を輸
送しなければならなかったのです。
兵站も特務機関の職掌の一つでしたが、余りも大規
模なのと、緊急を要するということで、官レベルで
対応できない事態になったのです。
そこで父は一世一代の決心を迫られる事となりました。
(つづく)
むつみ会結婚相談室
2015年11月26日
秋風の狂詩曲その3
むつみ会結婚相談室
秋風の狂詩曲その3
そういう父の元へ母は嫁いで行きました。21歳の
丁度秋風の吹く頃だったと聞いております。
今でこそ(真の意味における恋愛かどうかは別にして)
恋愛と結婚とセックスがパックになった
”ロマンチック・ラブ・イデオロギー”の時代ですが、
我が国では大正浪漫が入ってくるまで、
恋愛という観念そのものがなかったのです。
母は大正生まれですから、夢多き文学好きの少女とし
て育ちました。
生まれ故郷は、佐賀県の日本海に面した小さな岬の、
それでも活気と情趣にあふれた、呼子という港町です。
ぽんぽん船が出入りする波止場に寄り添うように,
木造の大小の宿が軒を連ねていました。
近隣の地の保養の場でもあったのでしょう。
江戸時代から続く朝市はとみに名が知られておりますが、
旧い銛突きの捕鯨が行われていた、珍しい港でもあり
ます。
大漁の捕鯨船が港に入ってくると、弾むように鐘の音が
町中に鳴り響くや、どこそこから人々が集い、
小さな波止場に群衆の大きな塊ができ、
大漁を祝う声また声で賑わいました。そんな古き良き
時代の娘時代の話をする時だけは母の顔も声も輝くよ
うでした。
だってその頃の母は貧乏のどん底で僕たちを育ててい
たのですから。
藍より青く,というNHKの朝ドラは呼子が舞台にな
っていました。
そのどこまでも青い海を見下ろす小高い丘の上で、
大きな宿の一人娘だった親友と、未来を語り合い、
わけもなく笑い転げたあれこれのこと、
そんな想い出に浸る束の間、母は時として不思議
な泣き笑いになったのを、
ぼくは今だにやるせなく思うのです。
むつみ会結婚相談室
秋風の狂詩曲その3
そういう父の元へ母は嫁いで行きました。21歳の
丁度秋風の吹く頃だったと聞いております。
今でこそ(真の意味における恋愛かどうかは別にして)
恋愛と結婚とセックスがパックになった
”ロマンチック・ラブ・イデオロギー”の時代ですが、
我が国では大正浪漫が入ってくるまで、
恋愛という観念そのものがなかったのです。
母は大正生まれですから、夢多き文学好きの少女とし
て育ちました。
生まれ故郷は、佐賀県の日本海に面した小さな岬の、
それでも活気と情趣にあふれた、呼子という港町です。
ぽんぽん船が出入りする波止場に寄り添うように,
木造の大小の宿が軒を連ねていました。
近隣の地の保養の場でもあったのでしょう。
江戸時代から続く朝市はとみに名が知られておりますが、
旧い銛突きの捕鯨が行われていた、珍しい港でもあり
ます。
大漁の捕鯨船が港に入ってくると、弾むように鐘の音が
町中に鳴り響くや、どこそこから人々が集い、
小さな波止場に群衆の大きな塊ができ、
大漁を祝う声また声で賑わいました。そんな古き良き
時代の娘時代の話をする時だけは母の顔も声も輝くよ
うでした。
だってその頃の母は貧乏のどん底で僕たちを育ててい
たのですから。
藍より青く,というNHKの朝ドラは呼子が舞台にな
っていました。
そのどこまでも青い海を見下ろす小高い丘の上で、
大きな宿の一人娘だった親友と、未来を語り合い、
わけもなく笑い転げたあれこれのこと、
そんな想い出に浸る束の間、母は時として不思議
な泣き笑いになったのを、
ぼくは今だにやるせなく思うのです。
むつみ会結婚相談室
2015年11月24日
秋風の狂詩曲その2
むつみ会結婚相談室

秋風の狂詩曲その2
・・・・・・
うらうらと 山肌に
抱かれて 夢を見た
あの頃の想い出は
ああ 今いずこ
・・・・・・
・・・・・・
晴れた日は 晴れた日は
船がゆく 日本海
海の色は碧く
ああ 夢は遠く
・・・・・
美空ひばり(米山正夫作詞曲)になる
この歌が好きだ。
ぼく自身の人生とオーバーラップするからじゃない
父母の人生とかさなってくるからだ。
父は明治生まれで,狭い日本にゃ住みあきたとばか
りに中国大陸に雄飛した。
陸軍軍属の特務機関員として活躍し、その後貿易商
に転身した。
陸軍といっても特務機関は戦闘部隊でなく、
主業務は中国の人民の民意の把握だ。中国語が堪能で、
単身潜入し民意を探る。場合によっては、親日の現地
人のゲリラ部隊を編成したりもする。
要するに中国人との親和をはかるのが仕事である。
だから、中国人に威丈高な憲兵や特高警察とはよく衝
突した。
人間というのは権力を与えられると、いとも簡単に自
己錯誤におちいるものらしい。彼らがその典型だ。
権限をかさにきて、理不尽の限りを尽くし、
中国人の対日悪評をばらまいた。拷問等など過酷を極め、
見るに見かねて、助け船を出したのは、一度や二度では
なかった。処刑は銃殺でなく、日本刀で斬首が主だった。
血生臭い話で恐縮しごくだが、
なんでもコツがあって、包丁で刺身をひくようにスーと
手前に引けば、すとんと首が落ちるとか。
見た目は残酷だが、処刑される身になれば苦しまないで
済む、切腹の場合も、介錯は武士の情けである。
軍属とはいえ中尉待遇だから、やめろと言えば向こうも、
すごすごと引っ込むしかなかった。
とにかく融和をはかりたい特務機関と憲兵、特高らとは
水と油であった。
当時の中国情勢は日本人の想像を遥かに超えた混乱ぶりで、
日本軍に欧米列強、それから蒋介石、中国共産党などの
大小無数の中国軍閥が入り乱れていた。
中国人民にとっては、どの軍隊がどうのこうのの問題でなく、
殺戮略奪強姦をしない秩序のとれた部隊がいい兵隊さん。
ただそれだけの話。
そんななか日本軍は規律がとれていたが、いつの世もそうだが、
人それぞれである。
父母は中国人が大好きで、上海から引き上げる時は中国人と
お互いに涙を流して,別れを惜しんだものだと、
事あるごとに話していた。
一部分だけを誇大して、事実を歪めるのが世の常とはいえ、
柔軟な視点と,豊かな情と、イメージの広がりは忘れたく
ない、と思う。
(つづく)
むつみ会結婚相談室
秋風の狂詩曲その2
・・・・・・
うらうらと 山肌に
抱かれて 夢を見た
あの頃の想い出は
ああ 今いずこ
・・・・・・
・・・・・・
晴れた日は 晴れた日は
船がゆく 日本海
海の色は碧く
ああ 夢は遠く
・・・・・
美空ひばり(米山正夫作詞曲)になる
この歌が好きだ。
ぼく自身の人生とオーバーラップするからじゃない
父母の人生とかさなってくるからだ。
父は明治生まれで,狭い日本にゃ住みあきたとばか
りに中国大陸に雄飛した。
陸軍軍属の特務機関員として活躍し、その後貿易商
に転身した。
陸軍といっても特務機関は戦闘部隊でなく、
主業務は中国の人民の民意の把握だ。中国語が堪能で、
単身潜入し民意を探る。場合によっては、親日の現地
人のゲリラ部隊を編成したりもする。
要するに中国人との親和をはかるのが仕事である。
だから、中国人に威丈高な憲兵や特高警察とはよく衝
突した。
人間というのは権力を与えられると、いとも簡単に自
己錯誤におちいるものらしい。彼らがその典型だ。
権限をかさにきて、理不尽の限りを尽くし、
中国人の対日悪評をばらまいた。拷問等など過酷を極め、
見るに見かねて、助け船を出したのは、一度や二度では
なかった。処刑は銃殺でなく、日本刀で斬首が主だった。
血生臭い話で恐縮しごくだが、
なんでもコツがあって、包丁で刺身をひくようにスーと
手前に引けば、すとんと首が落ちるとか。
見た目は残酷だが、処刑される身になれば苦しまないで
済む、切腹の場合も、介錯は武士の情けである。
軍属とはいえ中尉待遇だから、やめろと言えば向こうも、
すごすごと引っ込むしかなかった。
とにかく融和をはかりたい特務機関と憲兵、特高らとは
水と油であった。
当時の中国情勢は日本人の想像を遥かに超えた混乱ぶりで、
日本軍に欧米列強、それから蒋介石、中国共産党などの
大小無数の中国軍閥が入り乱れていた。
中国人民にとっては、どの軍隊がどうのこうのの問題でなく、
殺戮略奪強姦をしない秩序のとれた部隊がいい兵隊さん。
ただそれだけの話。
そんななか日本軍は規律がとれていたが、いつの世もそうだが、
人それぞれである。
父母は中国人が大好きで、上海から引き上げる時は中国人と
お互いに涙を流して,別れを惜しんだものだと、
事あるごとに話していた。
一部分だけを誇大して、事実を歪めるのが世の常とはいえ、
柔軟な視点と,豊かな情と、イメージの広がりは忘れたく
ない、と思う。
(つづく)
むつみ会結婚相談室
2015年11月20日
秋風の狂詩曲
むつみ会結婚相談室

秋風の狂詩曲
その1
秋風が冷たくなった
風のすぐ向こうにもう冬空がある
亡くなった母は大正6年の霜月に生まれた
ぼくの知ってる限りの母の半生は
霜柱を踏みしめるような日々であった
春まだき 遥かに遠く影も見せない
そして文字通り家族が心を寄せ合い、
寒さと饑えを凌ぐ歳月が続いた
隣人のこころのぬくもりが身に沁みたのも
赤貧に喘いでいたこのころだった
不思議なもので逆境になるとかえって、
人は礼節を知るものらしい。どんな親切も
困った時はお互い様よの一言で済んだ
すっからかんになると人間は
進化し、突然変異して、共感能力がイルカ
並みになるのを、小学生のぼくはこの目で
シッカと見た。
戦争が大勢の人々の運命を根っこからひっく
り返した。300万人の生命を奪っただけで
なく、たくさんの戦災孤児を生んだ
だけでなく・・・・・
小学校一年になってすぐ、物心もつきはじめた
そのときたった一日で我が家は倒産した。
(少なくともぼくには晴天の霹靂に見えた)
広い工場と自宅の電気が消された真っ暗な中で
お腹をすかせて皆が陰気な顔を寄せ合っていた
ぼくにはただ子供には窺い知れぬことが家族に
起きたのだ,という事だけ痛烈に感じ取っていた
あの夜のあの出来事、天国から地獄へ堕ちてゆ
くような不気味な感覚が、それからのぼくの
60年の人生の原体験となっている。
人生一寸先は闇なのだ!!
(つづく)
むつみ会結婚相談室
秋風の狂詩曲
その1
秋風が冷たくなった
風のすぐ向こうにもう冬空がある
亡くなった母は大正6年の霜月に生まれた
ぼくの知ってる限りの母の半生は
霜柱を踏みしめるような日々であった
春まだき 遥かに遠く影も見せない
そして文字通り家族が心を寄せ合い、
寒さと饑えを凌ぐ歳月が続いた
隣人のこころのぬくもりが身に沁みたのも
赤貧に喘いでいたこのころだった
不思議なもので逆境になるとかえって、
人は礼節を知るものらしい。どんな親切も
困った時はお互い様よの一言で済んだ
すっからかんになると人間は
進化し、突然変異して、共感能力がイルカ
並みになるのを、小学生のぼくはこの目で
シッカと見た。
戦争が大勢の人々の運命を根っこからひっく
り返した。300万人の生命を奪っただけで
なく、たくさんの戦災孤児を生んだ
だけでなく・・・・・
小学校一年になってすぐ、物心もつきはじめた
そのときたった一日で我が家は倒産した。
(少なくともぼくには晴天の霹靂に見えた)
広い工場と自宅の電気が消された真っ暗な中で
お腹をすかせて皆が陰気な顔を寄せ合っていた
ぼくにはただ子供には窺い知れぬことが家族に
起きたのだ,という事だけ痛烈に感じ取っていた
あの夜のあの出来事、天国から地獄へ堕ちてゆ
くような不気味な感覚が、それからのぼくの
60年の人生の原体験となっている。
人生一寸先は闇なのだ!!
(つづく)
むつみ会結婚相談室