2025年02月02日

流れる雲へ・・・







流れる雲へ・・・




”ジャガイモもヒトも勝手に育つ”
(養老孟司)
”親はなくとも子は育つ”。これ、昔からよくいうけど。
でも、売り物にすることばかり考えてるとそうはいかない。
ジャガイモもヒトも子どももね。販路に乗っかったまんま
で一生が終わってしまう。こんな惨めな人生はない。老後
のことまで考えて就職先選んだりしていない?40年後の
自分の姿までまざまざと見える一生なんて虚しくないのか
な?僕はヤだなあ。想像もつかないくらいがいい。
さて、親はなくとも子は育つが、子どもがいなけりゃ親は
育たない。でも、昨今ちょっとばかし雲行きが怪しくなっ
てきた。子どもがいるのに、どうも親が育っていない。な
ぜかというと、考えすぎるから、余計なことばっかりね。
子どもは育てるのじゃなく、育つもんだ。試してみりゃすぐ
わかる。そこんところを取り違えるといびつな親子関係に
なる。
親がグレると、子どもはまともに育ち、子どもがグレると
親はまともになる。そんな親子よく見かけるような気がする。
なんか楽しくなるよね。人間の一生なんてグレたりまともに
なったりの繰り返しだしね、いやホントに、どうしようもな
い。それでバランスが取れてるのだとしたら、思うだになん
かすごいことのような気がする。
息を吸ったり吐いたりするようなもんだ。だから、どちらに
しろ取り越し苦労はしない方がいい。どっちもまともすぎる
とちょっとしんどいことになる。息が詰まるしね。四角四面
で肩が凝って仕方がない。
入院中ベッドにしばりつけられてたんで、窓の外の空ばかり
眺めてた。雲ってのはすごいね。千変万化だよ。いっときも
じっとしていないし。
トルストイの小説の中で、戦場で瀕死の重傷を負った、アン
ドレイ、だったかな?が空を見つめるシーンがあるけど、
あんなもんか。生きてるってのはホントに雲のようなもんだ
って思った。何が起こるかわからない。どんな人間になるか
もわからない。
あれはいいけどこれはだめ、なんてことばっかり思ってると、
雲も居場所がなくなるしで、面白くもなんともない。
林檎は木から計算通りに落下するけど、落ち葉となるとそう
はいかない。風と戯れるように、重力なんて知らん顔で飛ん
でいく。さすらいびとみたいにね。どこが墓場になるか、
それは墓場だけが知っている、と空と雲が囁いてる。。





  


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2024年05月06日

雑草

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雑草




ある植物学者は言いました。
「雑草なんてないんだ」、、、、と。
ひとつひとつ違う、のだと考えるだけで人生観が一変するか
もしれない。犬も猫も鳥も虫もぜ〜んぶひとつひとつ違う、
いや道端の石っころだってそうだろう。
といっても大人にはピンとこない。でも孫のみーちゃんなん
かは違って当たり前と思ってるから、ヤモリにもクモにも金
魚名前をつけたがる。だから、我が家ではいつの間にか同居
の虫たちを名前で呼ぶようになった。
それだけでひとつひとつに愛着が湧き、僕たちの心にもどこ
となく彩りが出てくるから不思議なもんだ。
あの”奇跡のリンゴ”をものにした木村秋則さんも雑草に悩ま
された。雑草が養分を横取りするからリンゴが実らないって。
そうじゃないということに気づくのに八年かかった。雑草が
あるから豊穣な土が生まれ、豊穣な土が無農薬の奇跡のリン
ゴを実らせる。
人間にも名前がある。姓と名。姓というのは家柄とか家系と
かを表すのだが、余計なお世話だねという気もする。維新の
時にケッコー良い加減に付け足したもんで、大体姓の字面を
見ればそれがわかる。
我が家は野田だが、本籍地にある集落にお墓参りに行ったと
きにナルホドと思ってしまった。周囲が見渡す限り野っ原と
田んぼで、百軒ほどある集落のほとんどが野田という表札を
掲げていた。
名は体を表すというけど、百聞は一見にしかず。名は体を表
すということであれば、野田はノーだ、ともヤ〜だとも読む
し、それで僕はへそ曲がりになったのかも。
寅さんは寅さんでいいし、与作は与作でいいし、由美子はユ
ッコでいいし、ハルくんはハルでいいし、みーちゃんはミー
ミーでいい。ノダなんていうとそれだけでよそよしくなる。
雑というのは元々色とりどりの糸を縒り合わせて作った衣の
ことらしい。それがいつのまにか衣だけに目がいって、色と
りどりの糸を手間暇かけて撚り合わせる楽しいひとときを忘
れてしまった。
僕は典型的な雑学派だが、色とりどりの糸を日々撚り合わせ
る楽しいひと時を堪能している。猫の額の庭には雑草がのび
のびと生い茂っている。



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2024年04月07日

お化けのハナシ

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落書きのようです



お化けの話




お化けなんかいないと思いますか?
いえいえとんでもないこの世はお化けだらけです。
とくに現代はまるでお化け屋敷さながらです。
死ななきゃお化けにはなれないと思うのは間違いです。
生きててもちゃんとお化けになれるというのを証明し
ているのがどうも今の世の中のようです。
お化けを呼び出すのは何かというと、どうもおカネの
ようです。金貨の時代にはまだしも、お札というのは
それ自体がお化けのようなものですから。お皿の代わ
りにお札を一枚二枚と数えるのです。
大谷翔平さんのように急に大金持ちになりますと、あ
っちからこっちからお化けがよってたかってきます。
一人では数えきれないので大勢で数えます、一枚二枚
、、、例外はありません。大勢のお化けに囲まれて正気
でいるのは大変でしょうね。
彼も薄給の野球少年だった時代を思い出しているのかも
しれません。あの時代はよかったなあ、、、なんて。自分
の手で一枚一枚大切に数えている間はお化けには縁があ
りません。でも一旦それでは間に合わなくなったら最後
もうそれは叶わぬ夢です。一度取り憑いたお化けたちは
滅多なことでは諦めません。徹底的に吸い尽くします、
人から魂を。魂を失った人間をお化けというのです。
小金を持ったくらいではお化けはよってきませんが、本
人の魂をたぶらかしてお化けにしてしまいます。そうし
てそんな人たちが増えてきますと、この世は実に世知辛
いものになります。なのに世知辛い世の中になればなる
ほど人は不思議なことにこの世に執着するようになります。
歳をとってよかったなと思うのは、お化けとお化けでな
い人の区別がつくようになったことかな、なんて思った
りします。少し人間嫌いになった気もしますが、そこは
言葉のあやで、人間は好きになりましたが、お化けは好
きになれないということなのでしょう。
でも本物のお化けは好きです。うらめしや〜なんて言い
ませんし、知ってる限りではいつもニコニコして勇気を
与えてくれますからね。それにお化けにゃ学校も宿題も
何にもないし。嗚呼、お化けになりたい!!という声が
あちこちから聞こえてくるようです。
そういえば僕は幼い頃親や周りの大人から「アンタはど
こか人間離れしてるね」なんて言われていたようです。
亡くなった妻の母親からは「ネズミ男に似てるね。いい
ところも悪いところも丸見えだからわかりやすい」なんて
言われてました。褒められてるのか貶されているのかさっ
ぱりわからないのですが、たぶん人間離れしているという
ことの喩えなのでしょう。つまりお化けみたいな不思議な
生き物?でもその伝でいえば彼女の家族も(つまり妻も)
僕の両親もそうですし、そうなりますと当然ながら、二人
の息子も、その子の二人の孫もどこか不思議な生き物に
見えてきます。だからあなただってお化けにみたいになれる
かな?なれるでしょう、なろうと思えば、、、、たぶん。別に
お勧めするわけじゃありませんが。


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2024年03月26日

ジャンク化する世界

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1人、テキストの画像のようです


ジャンク化する世界




ジャンクとはガラクタのこと。
僕も今年九月で後期高齢者とやらになるわけで、めでた
く?公私共に認めるジャンク世代の仲間入りです。
頭も身体も確かにガラクタになっていることは日々実感
していますが、だからといって心までガラクタになった
らおしまいだなと自戒しています。
なんにでも寿命というものがありまして、それをプラスに
捉えるかマイナスに捉えるかは大切なことでして、そこで
私たちは自分の心のあり方が試されるのかなと思います。
人間一人一人にジャンク化があるように、世の中のいろん
な物事にも同じことが言えます。政治も経済も国家も教育
も学問も、学歴社会も見返りがなくなれば収束します。
今の世の中をジャンク化している大元は石油とお金です。
石油という地下資源はいうまでもなく有限ですが、お金の
方も実は有限です。投資利得がなくなり、したがって金利
がなくなればただの紙切れになります。現に基軸通貨ドル
はもう虫の息で、あと十年の寿命というのが常識になって
います。
ドルがなくなりアメリカが崩壊し石油がなくなれば、世界
はどうなるか、なんて考えたくもないでしょうが、その考え
たくもないことを考えないといけないときがすぐそばに近
づいています。
「廃王でなくして誰が王でないことを不幸に思うであろう」
というのは確かパンセの警句ですが、お金が紙切れになっ
て不幸に思うのはお金持ちだけで、そうでない人たちにと
っては大したことじゃない。大したことじゃないどころか
目の上のタンコブがなくなってさぞ清々するでしょう。
ただ衣食住のことだけはチャンと頭に入れといた方がいい。
余計にいらない。生きていけるだけでいい。そもそも余計
というのがジャンク=ガラクタのことだからです。
雨露をしのげて、ほどほどに食べて、凍えなければそれで
いい。あとはサラリーの代わりにストレスを抱える必要も
ないし、子どもだってほっとけば勝手に大人になる。みん
なが幸せで泰平だった時代とはいつもそんな暮らしに人々
が満足していた時代だったのだと思います。


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2024年03月20日

マザーツリー (親はなくとも・・・)

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木、テキストのイラストのようです

マザーツリー
(親はなくとも・・・)





カナダの女性の森林生態学者いわく。
「木と木がつながりあい、お互いを認識し、栄養を送り合
っている」
特に古い木をマザーツリーと呼んでいる。なぜかというと
マザーツリーは他の木に多くの炭素を送っているから。
人間だって同じですね。自分自身の生涯を振り返ってみる
と、母親から幼児期はお乳をもらい、大きくなっても母親か
ら貰ったものは少なくない。それに対して僕の方からあげた
ものとなると、、、母の日のカーネーションくらいか、、
も贈った覚えがないし。
また曰くには、、、、
「死が生きることを可能にし、年老いたものが若い世代に
力を与える」
こんな含蓄ある言葉(特に前段)は女性のそして母親でもあ
る人の唇からしか出てこないんだろうな。
「死が生きることを、、、」なんて、命がけで命を生み出し
た人からしかでてこない。
いや森の中では多分そんなこと当たり前なんだろう。
さて、末期がんの病棟のお医者さんがいうには、
死を間際にして周囲の人たちに生きる勇気を与える患者と
逆に死の世界に引き摺り込むような気分にさせる患者とが
いるらしい。前者のような患者は稀で、後者の患者がほと
んどのなので、それを毎週のように看取らなければならな
い、たいていの医者は精神に変調をきたすらしい。そりゃ
そうだろう。
もし年々そんな患者が増えてきているのだとしたらやりきれ
ない話であるだろう。つまりは、、、、
「死が生きることを不可能にし、年老いたものが若いものか
ら力を奪っている」
ということにもなる。
年老いた患者を年老いた親と言い換えてもいい。年老いた親
とはそもそもどんな親だったのか。おそらく世間的にはほ
ぼ文句のつけようのない人たちだったのかもしれない。なぜ
って現にそんな親がほとんどみたいだから、今は、、、。
それなのになぜ、、、?親と子の間に気持ちの根本的な齟齬
があるのかもしれない。
親だから誰しも当然親として当然のことをしてやりたいと思
う。ただ、その親として当然なるものが、子どもの側からし
たらどうだったのか?そういう疑念をさし挟む余地がないほ
どそれは親にとっては余りにも当然すぎることだったのだろ
う。でもそれは子どもにとってはどうなのか、あるいは余計
なお世話だったのかもしれない。
我が子にはできるだけ幸せな(あるいは無難な)人生を送っ
てもらいたい(親心?。そうは考えるが、まかり間違っても、
どんな災難や不幸に遭遇しても決してめげない大人になって
ほしい、という方向には考えようとはしない。
しかし命がけで命を生み出した人なら、ライオンなら、いや
マザーツリーなら、きっとそう考えるだろうと僕は思う。
人は平穏な世の中に生きすぎるとそれが全てと考えがちにな
る。過ぎたるはなお及ばざるが如しというが、至れり尽くせ
り(勉強嫌いなのに進学させるとかオモロくない職に就かせ
るとか、その他)は禁物だろう。親にとっても子にとっても
である。こんな子に育てた覚えがないのにと悔やんでも後の
祭りという話はそこらにゴロゴロ転がっている。
「死が生きることを可能にし、年老いたものが若い世代に
力を与える」
、、、というのは、いやしくも生きとし生けるものである限り
全てに言える。であるからして、やむなく親らしいことを何一
つしてやれなかったとしても落ち込むことはない。”やむなく”
という但し書き付きではあるだろうが。親はなくとも子は育
つというが、どうも今どきは親がない方が子が育つもかもし
れないなんて失礼なことを思ったりしてしまう。
子どもは強いよ、親が思ってるより百倍もね。オワリ。


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2024年03月07日

AIは無知である

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ハートの画像のようです


AIは無知である



AIは無知である。
文字通り知がないという意味での無知である。
もし知があるというならば、知とは何であるかについ
て知っていなければならない。知のための知などある
はずがない。そういう意味合いからいえばクイズ番組
の模範解答者も無知なのかもしれないのだ。
では、知とは何かといえば、それは生の実践に関わる
真摯な問いでなければならないだろう。したがってみ
んなの意見だから正しいというのは厳密な意味では知
とはいえない。AIはそんな最大公約数の知見の代弁者
にすぎない。
知とはみんなの意見ではなく、私の、またはあなたの
意見でなければならない。一人一人のかけがえのない
試行錯誤の人生から紡ぎ出された紋様みたいなもので
ある。頭でなく心に刻まれた皺である。人の心という
ものの深奥に、未知の世界にアプローチしていく試み
である。万巻の書を紐解いてどうにかなるものでもない。
消しゴムでたやすく消せるような文字の羅列を知と呼
ぶのは人間の否定にもつながりかねないだろう。今の
時代が切望しているのはAIの知ではなく人間の知であ
る。あるいは利としての知ではなく理としての知であ
る。文明の利器の最後の打ち上げ花火のようなものが
AIの知であり、それ以外の何ものでもない。
真円はどんなに精巧な機械でも描けない。職人の熟練
した技でなければ描けない。完全な球体を内蔵するも
のは半永久的に機能し次に繋がっていくが、機械が作
った不完全な球体を内蔵するものはその場限りでしか
ない。
そしてAIはついに芥川賞を選んでしまった(東京都同情
塔)。あれは(幸いに)AIが書かせたという小説でなく、
AI時代が選んだ小説なのだろう。
AIは決して”私は何も知らない”とは言わない。言った時
が運の尽きだからだ。しかし、何もかもを知ったかぶり
の小説など誰が読むものか。入学試験の問題じゃあるま
いし。
芸術がこの先バベルの塔になってしまわなければいいの
だが・・・・。



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2024年02月27日

虫の歌



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テキストのイラストのようです

虫の歌




「虫ケラめ・・・」
なんていう”口汚い”言葉を人々はいつから覚えたのでしょう。
相手の自尊心を傷つけるのにこんなに効果的な言葉はあり
ません。
僕もむかしそんなふうなセリフを吐き捨てられた覚えがあ
ります。ニンゲン一匹落ちぶれたらなんでもあり、なのです。
その時は物騒な話こいつぶん殴ってやろうか、いや、殺して
も飽きたりないとも正直思いました。そんなことを言われた
ら多分誰だって大なり小なりそう思うでしょう。そんな破滅
的な一言なのです
でも後で冷静になって不思議に思ったのは、どうして「虫ケ
ラのようなやつ」と言われてどうしてそんなに腹が立ったの
かということでした。なぜって、腹が立ったのは僕自身が虫
ケラという生き物を馬鹿にしていたからに違いないからです。
叩き潰しても、踏み潰しても、なんの痛痒も感じない存在。
今にして思えば、俺が虫ケラならお前は何さまだと言い返
してやればよかったなと思います。お前たち人間様がいな
くても俺たち虫ケラは痛くも痒くもないが、俺たち虫ケラ
がいなくなったらお前たちは生きていけないんだぞ、わか
ってんのか、なんて、、、。
口に出して言わなくても、たいていの人は落ちぶれ果てた
人間に対してそういうふうに思っているのかもしれません。
特に落ちぶれ果てていなくても社会的ステータスがずっと
上位の人からは、あなただだってそういうふうに思われてい
るのかもしれないのです。
さてそこでです、”虫ケラ”というのはどういう意味なので
しょう?最近めっきり目につかなくなった、あの小さな生
き物たちのことです。
ハエ、蚊、ゴキブリ、シラミ、ノミ、ウジ、ミミズ、アリ、
ハチ、カナブン、オケラ、昆虫類ですね。昆虫類は世界中
に百万種います。それに対してホモ=サピエンス(現生人類)
は四とか五大人種にすぎません。
この莫大な種類の昆虫種は地球上の生態系ピラミッドの底
辺を支え、他の生物の餌となり植物の受粉を助けたりして
います。私たちが日々の生活で利用する食料や資材は、実
はこれらの様々な種の昆虫の活動の結果として生産されて
います。
もしも、この”虫ケラ共”がいなくなったら、私たちは一日
たりとも生きていることはできません。それこそどんなに
感謝しても感謝しきれない存在なのです。恩を仇で返すこと
はこのことです。これを罰当たり(バチアタリ)といいます
が、昔の人は罰当たりは死んだら地獄に行くといいました。
ほんの半世紀前までは日常生活の欠かせない点景としていろ
んな虫たちがいました。でも今は見事に姿を消してしまいま
した。名前も知りませんから何か気味の悪い生き物というこ
とになっています。
ゴキブリとかハチとかクモとか出現したら大騒ぎです。お店
のショーウインドーにはいろんな種類の殺虫剤が今か今かと
出番を待ちかまえています。人間さまの都合だけで益虫とか
害虫という分け方もあります。
人間というのは呆れ果てるくらいいとも簡単に思い上がりま
す。そして全てを上から見下ろします。上から見ればいろん
なものがよく見えるはずなのですが、思い上がった人間の双
眸には人の頭のてっぺん以外は何も映らなくなります。
逆に下から見れば、いろんなものがよく見えます。特に人の
心のありようは手に取るように分かるようになります。
だとすれば、地上に蠢く無数の虫たちから見れば、私たち人
間様のありようはどのように映っている事でしょう。そんな
こと想像もしないのでしょうが、想像もしないというのはそ
のまま私たちニンゲンの高慢さを象徴しているのだと思いま
す。
西洋人にとっては虫とはすなわち害虫でしかなく、鳴き声は
ただの騒音であり、あんなに賑やかなのに聞こえない人もい
ます。鳴き声として聞こえるのは地球上では日本人とポリネ
シア人だけとか言われています。そして皮肉なことには、、
虫たちが私たちの世界にもたらした「利」から強欲な征服
者が生まれ、その尊い「利」を限りなく食い潰していると
いう事実です。「理」がいつのまにか「利」にすり替わり
科学という名でバチあたりを繰り返しているのです。
それでも、虫コレクターたる我が家の八歳の孫娘であるミ
ーちゃんはジイジも知らない虫の名前もたくさん知ってい
ますし、いるはずのない虫さんたちをどこからか探し出し
てきます。特にお気に入りはヤモリさんで、今ではすっかり
我が家の天井板を終のすみかにしているようです。
子どもには先入観というものがないので時々ハッとさせら
れます。それに比べると大人たちは先入観の虜のようなもの
です。いてもいなくてもいいようなつまらない人たちの銅像
を建てたりする一方では、「虫ケラ共め」というセリフを
吐き散らしています。
そんな大人たちにもミーちゃんたちの年頃にはTVやCDから
流れてくる歌はなくとも、自然の森から虫たちが奏でる調べ
がありました。春先になると先ぶれのように”ジージー”と
いう(クビ)キリギリスの鳴き声があり、夏空が広がって
きますとカエルや蝉の声が、秋風が吹く頃には無数の虫た
ちのオーケストラが響き渡りました。あの頃私たちは歌によ
って虫たちの世界と分かち難く繋がっていたように思われ
ます。そう叱られて一人ベソをかいていると、いつのまにか
すだく虫の調べを子守唄に夢の世界に入っていたのを昨日の
ことのように思い出します。あなたはいかがですか?
私たちは不幸せでもなければ、かといって幸せでもない日々
の中でいつも心の中に何かしらの不安を抱え込んでいます。
あれは一体何なのでしょうか?
ひょっとするとあなたのまわりからあの懐かしい虫の音が
遠のいていく心細さのようなものかもしれません。




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2024年02月08日

仲のいい老夫婦


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仲のいい老夫婦




「ご年配のご夫婦が手をつないで歩いてる姿ってなんか
いいわねえ」
「ありゃなんだな、手をつないでないと迷子になるから
かもしれんし」
「もう、すぐそんなこと言って」
「”なあオマエ、迷子になるときは一緒になろうなあ”
”ヤよ、そんなの!”なんて話してるのかも」
「そりゃ、オバケが出るときは確かに一人だけどねえ」
「だろう?仲良く手をつないだオバケなんて見たことも聞
いたこともないしねえ。第一怖くないし」
「・・・・・なんかそんなふうな話じゃなかったような気
もするんだけど」
「オレもそんなふうなハナシする気なんてなかったんだ
けど、アンタがいつのまにか話をこじらせたんだよな」
「どっちもどっちだったと思うけどねえ。どっちにしろ
私たちには縁のない話よね」
「そんなこと言わんとたまには手をつないで歩こうか?」
「ヤ!!だ。腕がちゃんと二本あるんだから、自分の手を
握ったら」
「握るんじゃなく、合わせるか。ナンマンダブ、ナ
ンマンダブ、どうか成仏できますように」




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2024年01月10日

人知を超えて


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、「の な し 全 い よ く 太 び されで な ななら う く あ が ん は 楽さし い 欲力超人な しがえ知に たを た」というテキストのイラストのようです


人知を超えて




「人知が限られていることも科学的真実」
(井戸謙一さん)
天災、特に地震。風は台風一過一ですんでも、地震はそう
はいきません。予知ができないし、またいつ果てるともな
い余震がつきもの、八年前の熊本地震では、余震のはずが
本震になり、本震と思われた前震以上の被害をもたらしま
した。発生時刻が深夜だったのが不幸中の幸いとなり人的
被害が割と少なかったようです。いつも買い物をしている
スーパーマーケットは天井が崩落したので、もし昼間だっ
たら、と思うと慄然たるものがありました。火災被害も少
なかった。
山火事のような、天災のようで実は人災というのが増えて
きています。今後は思いもかけない天災(人災)が頻発す
るのかも、なんて思ったりします。というより、今世紀は
人災が構造化していき、いきつくところまでいって社会の
基盤の液状化が起きるのかもしれません。
人知が天災を予知できないのは仕方がないとしても、人知
が人災を予知できない時代が来ています。いや、人災の方
が天災より予知不能な時代が到来しつつあるようです。
人知とは一体全体なにものなのでしょう?余命が残り少な
くなってきますととみにそんなことを思ったりします。
「人知が限られていることも科学的真実」
”も”を”が”に言い換えた方がしっくりきたりして、、、、。
人知を超える世代が生まれ育つのか否かが、きっと二十一世紀
最大の課題となるのでしょうね。




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2024年01月04日

ブランコ



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ブランコ




ヒトという生き物はなんでも直線で捉え、かつ考え、かつ作
り変えたがる。草木虫魚からすれば、夜もどころか昼もおち
おち眠れない話だろうし、神様はきっとこう嘆いておられる
だろう。
「お前たちはいつからそんなヒネクレものになったんだ」。
そりゃそうだ、およそ自然世界を見はるかして直線ででき
ているものなんてただの一つもないし、1ミリの長さの直線
もない。曲線というのは直線に直さない限り長さなんてわか
りっこない。
月や太陽がもし正方形や二等辺三角形になったら誰だって、
ああ、この世の終わりが来たんだなと思うだろう。宇宙が
立方体になったら、きっと誰だって牢獄に閉じ込められてい
るような気分になるだろう
しかし、私たちの日常はほとんど全てといってよいほど直線
の造形で成り立っている。風景もだし、ガッコーで教わるこ
とも、人生そのものも、である。
そうなれば当たり前のように時間だってそういうふうになる。
去年のカレンダーのように新年のカレンダーも律儀に365個
の数字を真っ直ぐ均等に刻み、また明日からの私たちの暮ら
しもその中に放り込まれて、去年のような今年がきて、その
次も次の次も同じようなもんで、ハッと気がつくといつの間に
か七十四歳の僕のような年寄りになっている。
今年の秋には後期高齢者(余計なお世話だが)なる尊称?を
付与され病院にかかる費用も半額になる。半額は無論歓迎だ
が、歳のとりかたはみんな一様ではない。特に僕のように期
せずして波乱万丈の人生を送らざるを得なかった人間にとっ
て時間はカレンダーのように真っ直ぐにすぎて行ったわけじゃ
ない。まるでねじれドーナッツのようなものだった。
年齢が一桁だった頃には、お正月が来るのが楽しみで夜も寝
つけなかったくらいだが、悪鬼のごとき借金取りに追いまく
られる日々は明日という日なんか永遠に来なければいい、と
切実に思ったもんだった。たぶん僕の人生なんてもんは、四
角四面に切り取られた世間の切れっ端みたいなもんだったの
だろう。切れっ端はニュートンのリンゴのようにちゃんとと
した法則にしたがって落ちていくわけじゃない。そういう現
実もこの世には掃いて捨てるほどあることをどうしてみんな
他愛もなく忘れてしまうんだろう。
だからマジで思うのだ、時間なんて数字で測れるものじゃな
いどころか、あるかないかさえ覚束ないもんなのだと。そう
考えた方が納得がいく現実が確かにテンコ盛りだったのだ
から。
大体が僕は数字アレルギーなのだ。なぜかといえば、利息を
いただく側だったら数字マニアになったかもしれないのに、
利息をさし上げる側だったからだろう、間違いなく。
南洋の先住民には数字といえば、1と2しかなく、それ以上
は”いっぱい”という一言で括られるらしい。数字なるものを
発明したのはエライ学者さんではなく羊飼いの少年だったら
しい。昼間放し飼いにしてた羊さんを日暮れに集合させると
きに頭数を間違えないように”指折り”数えたのだが、指は
10本しかないので自然に十進法になったってお話。ヒツジが
一匹、ヒツジが二匹・・・・。そして、人類は”ゼロ”という
偉大なる概念を忘れ果ててしまったらしい。
世の中の経済がどんなに発展?しても所詮はゼロサムゲーム
以外の何ものでもない。経済をはじめとする人の営みはブラ
ンコの共振現象のようなもので、漕ぐという外力がなくなれ
ばとまり、支点というゼロに還る。そして支点というゼロ地点
がない限り、共振という現象は起こりっこない。
ゼロというのは無限小ということで、∞=無限大とは一卵性
双生児みたいなもんで、宇宙はそんな一卵性双生児できてい
るらしい。したがって、自然とできるだけ共存する定常状態
での生き方はゼロという無限の循環に身を委ねることなのだ
と僕としては思うわけだ。
明治の学校令以来ガッコーとは子どもたちに社会性を身につ
けさせる場になった。しかし社会性とはどういうことなのだ
ろう?時代によって水と油ほども変わるのが社会の通念に他
ならないのだとすれば、少なくとも普遍的な概念というわけ
ではないから、飼い慣らすという言葉に言い換えてもさして
支障はないのだろう。
そうやって人たちはいつまでもブランコを漕ぎ続けなければ
いけないのだろう。ブランコから降りてしまったような今年
で七十五歳の僕からすれば、それはとても痛々しい光景にし
か見えないのだ。




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2023年10月26日

銀の龍の背に乗って


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銀の龍の背に乗って




自分を見失った人間に自由はない。しかるに、わずかばか
りの富や権力、ステータスにうつつを抜かし、人は容易く
自分を見失う。末は博士か大臣かが自己発見だと思ってる
うちに、それに引きずられている馬車馬になっている。
この歳になると、そういう人間を嫌になるほど目にしてき
た。あまり見すぎるとやがて絶望感に苛まれてくる。
ホームレスさんとは昔から友達(こちらに引っ越して縁遠
くなったが。市東部の方は住みにくいのだろう。町内の自
治会がしっかりしているとこは住みにくいのだ)だが、彼
らは何もかも失って自分以外には何もないので、つまり失
うも何も自分しかない。あるのは自分だけ、他には何もな
い。また現住所がない人間は市民として存在しないのだ。
だが市民としては存在しなくても、一人の人間としてみれ
ば、市民たちの誰よりも存在している。
年齢が近いこともあり、中でも親しかったF氏はなかなかの
勉強家で、ゴミ拾いがないときは大抵図書館で本を読んでた。
(夏は涼しいし、冬は暖かいしね)。何もかも失った人な
らではの識見を持ってって、心ひそかに僕の人生の師匠だと
思ってた。重い病気にかかって、ふるさとの大阪に帰ってそ
こで亡くなった。多分西成で生活保護を受けて病院に入っ
たのだろう。
もう一人のシゲちゃん(僕もシゲちゃんなので、僕のこと
はノダちゃんと呼んでた)は、なかなか風呂に入ろうとし
ない臭いやつだったが、ある日微笑みながら僕に言った。
「ノダちゃん、俺な、寝るときいつも思うとたい。このま
ま目を覚まさんかったらよかなあ、って。シゲちゃんはど
うな、そげなこと思わんな?」
その時ほど僕はニンゲンというものを愛しく感じたことは
ない。そしてシゲちゃんは一週間後の朝、その言葉通りの
姿として見つかった。自殺したわけじゃない。自然死とい
うか自然消滅というか、そんなもんだ。
灰になった日、何人か集まって公園で葬式がわりの酒盛り
をやった。桜がちょっとだけ芽吹いていた。
常人ならなんと惨めな人生だろうと思うかもしれない。で
も、シゲちゃんは死にたくないと思って死んだ訳じゃない。
なにか大層な理想のために命をかけた訳でもない。いうな
らば、ただ純粋に死んでいったのだ。
天は人に自由を与えるために富や権力やステータスを与える
のではなくて、自由を与えるために、むしろ人から富や権
力やステータスを奪うのかもしれない。
何かあるところに自由があるのではなく、ひょっとすると
何もないところに自由はあるのかもしれない。
余計なものを身につけていると鳥は空に向かって飛び立て
ないのだから。

♫急げ悲しみ、翼に変われ
急げ傷跡、羅針盤になれ
銀の龍の背に乗って♫
         (中島みゆき)




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2023年09月27日

私はだあれ


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私はだあれ?



「あなたが私について知っているものの殆どは私に
ついての記憶に過ぎないのよ」
全くね、細胞は一ヶ月ごとに入れ替わるのだから、
そうじゃないとまるでデクノボーだ。
私が私について知っているものの殆ども私について
の記憶に過ぎないのであって、歳を重ねて物忘れが
ひどくなったり、認知症とかなんとかになったら、
そうそう、人によったら多重人格なんてのもあるし、
そうなったら、私は私でなくなるのかな?
私はだあれ?さあて、だれなんでしょう?
でも、私はだあれ、になってもなくなるって訳じゃない。
私はだあれ、が、私はなあに、になってくるだけ、デク
ノボーでもね。
人間歳を食ってくると、私はだあれ、なんかどんどんど
うでもよくなって、私はなあに、の方がずっと面白くな
ってくる。そんなこと今までろくすっぽ思ったこともなか
ったのが不思議だな。
そうなってくると、そう、世界が一気に広がってくる。
新聞やTVの下らないニュースの数々は、紙面や画面の中
だけの、私はだあれ?の世界の話に過ぎなくて、たまに
は、私はなあに?みたいなネタも流せばいいのに、なん
て思う。購読者や視聴者も増えてくるかも。
森の中の木とか、石っころとか、みんな私はだあれ?
なんて顔をしていない。
あなたはだあれ、なんて訊いても知らん顔してる。
あなたはだあれ?って訊くとこう答える。
私は私よ、木であり、石っころであり、風であり、
川であり、雲であり、あの青い空や、果てしない海原と
トモダチなの。



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2023年09月06日

専門バカとバカ専門


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専門バカとバカ専門




ある大学教授がこんなこと言ったらしい。
「君たちは僕たちを専門バカと言ってるらしいが、そ
こから専門をとったら、ただのバカの集団だ」。
学生たちには大受けだった?
君たちはくれぐれもバカの集団にはならないように、
という親心ってか、ご親切なアドバイスだったのかも。
時代が大きく変わる時には、こんなひとことが切実さ
を帯びてくる。
専門分野には定式みたいなもんがあって、そいつが通
用しなくなると、専門家は単なるバカになる。
この大学教授のような人ばかりだったらいいのだが、
そうは問屋が卸さないし。
核についても核のセキュリテイについての専門的な国際
的な学会はあるが、核そのものの是非について研究する
学会はない。いわば、原論を抜きにした各論だけをピー
チクパーチク囀りあっているだけである。
ただの専門バカなら笑い話のネタですませるかもしれない
が、すませるものとすませないものがある。
死んだ後のことがわからないように、地球の生態系の外
側の原理である核の問題も分かりようがない。
死んだ後のことを見てきたように語るインチキな宗教家が
いるように、何億光年の宇宙の彼方のことを見てきたよう
に語るインチキな学者がいっぱいいることも頭に入れとき
ゃなきゃ大変なことになる。
自分がバカであることをわきまえているやつは少なくとも
人畜無害だが、自分がリコーであると勘違いしてるやつは
とにかく始末におえないのだ。




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2023年07月25日

JOMON JAPAN


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JOMON JAPAN



税を納める人、稼ぎのいい人が社会の財産だとは思えない。
善男善女だけのシャバがいい社会だとも思えない。
人そのもの、生きとし生けるもの全てが社会の財産なのだ
と思う。
能力のあるものもないものも、
働きものもグータラも、
善人も悪人も、
老いも若きも
みんな合わせて社会の財産なのだと思う。
足し算も引き算もナシ。掛け算割り算なんてトンデモナイ。
だってでなけりゃ面白くもなんともないしね。
縄文時代ってきっとそんな面白い時代だったのだと思う。
大体が、ヒトがヒトを決めつけたり、裁いたりし始めたり
してから世の中がオカシクなったんだと思う。
そんなことたぶんできるはずないし、キリってもんがないし。
住みやすい社会ってのは、なるようにしかなっていかない
世の中なんだと思う。
それから先はヒトの愚かさや賢さが試されるのだろう。
天国と地獄の分かれ道。
その時が来る前におかしくなったのが今の時代なのだと思う。
もう一回やり直しだな。なあに、時間はたっぷりある。




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2023年07月19日

あうんの呼吸 (関係性と間合い)


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あうんの呼吸
(関係性と間合い)





関係性とか間合いといえば、、、お見合い、それから恋愛も
そうでしょうね。
一人一人違うはずなのに、その感覚がどうも年々希薄に
なってきたような気がします。誰でもかんでも同じ間合い、
固定した関係性(ワンパターン)でやったら、うまくいくは
ずがない、、ですよね。
それも非婚率が右肩上がりの原因の一つのような気がします。
離婚が増えたのも、親子や世代の断絶にもいえそうですね。
日本で精神科病院の病床数が増え続けているのもそうなので
しょう。社会的入院などと呼ばれているそうですが、つまり
社会的な不適合者を準合法的に隔離することです。
なぜかというと、家族や地域の人が困るからで、入院した人
が困るからではありません。
「今まで精神科医を続けてこられた一番の理由は、次はどん
な人に出会えるのかが楽しみだったこと」
と、ある精神科医は言っています。
もしこのお医者さんが社会的適合者を相手にする医科だった
ら、さぞ退屈する毎日だったことでしょう。(精神科でよか
った)
政府と国民、国家と国家もまさに関係性と間合いの問題な
のでしょう。出来合いの関係性だけではどうしようもないで
すよね。
無敵のプロボクサー井上尚弥の必勝の秘訣は、対戦相手との
距離感覚だとか。
又、村上春樹は創作とは行と作者の間合いを測ることに尽き
るのだと語っています。
つまりこういうことかもしれません。人と人の間の距離と間
合いの中に世界というものがある。世界を存在と言い換えて
もいいような気がします。
それを大切にすれば、世界はどんどん広がっていき、それを
おざなりにすれば、世界は萎んでいくような気がするのです。
それを仏教では”あうんの呼吸”などと名づけました。
あうん(阿吽)とは万物の始めと終わりのことです。
餅をつく人と合いの手の鮮やかな阿吽の名人芸も今は昔の話
となりました。懐かしい、、、、。



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2023年06月24日

メテオ(流れ星)



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メテオ(流れ星)



私たちの子ども時代には居間には大きな振り子の柱時計がど
でんと居座っていて、一時間ごとにぼ〜んぼ〜んと寝ぼけた
ような音で時を告げた。
一日に一回以上は足台を出して、時計の針を合わせ、振り子
のネジを巻くのが日課だった。1時には1回だけ、12時には
12回鳴った。その寝ぼけ音を寝ぼけ眼で指折り数えたもの
だった。高度経済成長前くらいまでは、、、。
高度経済成長期になると振り子がなくなり、やがてデジタ
ル時計になった。デジタルになるとともにバブルが弾け、青
天の霹靂のような”失われた時代”がやってきた。あの青天の
霹靂は一体なのだったのだろう?デジタル時計だったのだと
も思う。ぼ〜んぼ〜んというあの寝ぼけ音が私たちの暮らし
から消え去るとともにやってきたのだから。
あの柱時計は円環運動であった。一日二回ぐるりと一回転し、
そんな同じ行為を毎日飽く事もなく繰り返したのだった。
私たちの毎日も世の中の営みも毎日同じことを繰り返し、そ
れが当たり前と思っていた。宇宙のリズムと私たちの暮らし
は振り子時計によってかろうじて繋がっていたようだった。
そんな円環運動が一気に直線運動に変わったのがあのバブル
の時代に他ならなかった。夜も昼もなく寝る間もなく成長路
線を邁進してきた。成長神話というありもしない寓話に取り
憑かれたのが、他ならぬ経済成長とその後のバブルの時代だ
った。
経済成長は悪いことじゃなかった、お陰で日々の暮らしはず
いぶん豊かに便利になったと反論されるかもしれない。
しかし一つだけ決定的なことを見落としていたのだった。
「人々は自分たちが自ら所有しているものについては、多
数の人々または万人に共通に所属しているものに対してよ
り、より注意深い管理を行うであろう」(シュンペーター)
まあ、そりゃそうなのだろうが、ここでとくと考えてもらい
たい、出来うるなら満天の星空を眺めつつ。
もしもである、あの星々がシュンペーターさんのいうように
考えたら、どうなったかということを、である。
もしもあの星たちがみんな”今だけカネだけ自分だけ”という
自分ファスト、自国ファストならぬ自星ファストになったら
どうなるのであろう。
その中で地球というちっぽけな惑星だけが自分ファスト、自
国ファストがせめぎ合う星になったのだ。
見果てぬ夢を追いかけるようにして一直線に突っ走った強欲
な資本主義は、夜空をよぎるメテオ(流星)のようなもの
だった。
ああ、そういえばジョンがあの時こういったのを思い出す。
「あっ!流れ星だ。早く願い事をしなくっちゃ」




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2023年06月17日

これでいいのだ!


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これでいいのだ!




国に逆らっても利があれば集まってくるのが商人だ。
飴玉に集まってくるアリみたいなもんかな。この30年
ばかりがその状況で、年々国益という言葉が死語にな
ってきてる観がありあり。ニッポンの国益なんて枯葉
より軽くなったし、それはアメリカもEC諸国も同じよ
うなもんかな。知らぬは国民ばかりなりは、どこも一
緒だろうな?
そもそもがである、商人(商業資本、ブルジョワジー)
の利が引き金となってできたのが(近代)国家なるも
のだしね。
植民地争奪戦のためには大掛かりな徴兵制度が不可欠
だった。その付け足しのような見返りとして参政権(デ
モクラシー)が与えられた。子供騙しの飴玉がデモクラ
シーだったのだと思ってよい。
であるから、いつまで経ってもデモクラシーは額縁の絵
みたいなもんで、国家と国民の利害がひょんなことから
一致したホンの短い期間だけ成り立つ線香花火みたい
なもん。
しかし、どんなに鵜の目鷹の目で探しても、甘い飴玉が
どこにも見つからないとなると問題は別になる。商人の
突っ張った欲の皮がそれなりに薬になった時代もあるに
はあったが、今や毒にも薬にもならないのが商人という
存在なのである。
カワイソーなんて思わない。思うもんか。積もり積もった
庶民の恨みつらみがあるからだけじゃない。搾取される方
だけじゃない、搾取する方だっていい気になってる分地獄
を見るハメになる。
”廃王でなくして誰が王でないことを不幸に思うだろう”
(パスカル、パンセ)
フロンテイアスピリットなんて言ってきたが、そのフロン
テイアが種切れになってきた。
地理上の最後のフロンテイアがアフリカで、ミリタリーの
それがニュークリアなら、インフラの最終フロンテイアは
シャワートイレ。未開拓がなくなった。
AIなんてのもいい方に転ぶか、悪い方に転ぶかさっぱり分
からない。
何もかもが王様にとっては絶望的な材料ばかりだが、庶民
にとっては王様がいなくなった分自由で豊かな人生を満喫
できるかもしれない。
これでいいのだ!デモクラシーは天才バカボンたちがつく
るのだ!




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2023年05月08日

雪隠詰め(せっちんづめ)

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スローロリス、テキストの画像のようです


雪隠詰め(せっちんづめ)



時あたかも草木もねむる丑三つ時、、、、
階下で子犬のリルの哀れを誘うような、なき声が、、、。
窓外では啜り泣くよな雨の音、、、。
何事かと降り立ってみれば、ゲージ(みーちゃんふうに言
えば牢屋)の中でリルが、なんと雪隠詰めになっていたの
でありました(おのれが垂れ流したクソででありますが)。
部屋中に匂いがこもってました、うわっ!勘弁してくれ、
といってももうあとの祭りです。
牢屋のロックを外すと脱兎(じゃなかった脱犬)のように
飛び出したクソまみれのリルが、何を勘違いしたものか
はしゃいで部屋中を飛び回ったのでありました。
「こりゃいかん!」
ってなことでふん捕まえて風呂場で残り湯をぶっかけると
びっくらこいて逃げ出してびしょ濡れのリルと追いかけっ
こです。通せんぼをしたのが裏目になって、今度は二階に
まで駆け上ったのでありました。
そういうわけで今度は我が家全体が夜の夜なか雪隠詰めに。
二次被害恐るべし。
それからあたしゃどうなったかというと、夜明けまでマイペ
ット片手に家中をお掃除でした。なんの因果か(この前つ
いケツを蹴飛ばしたのが悪かったのかな)ああ、眠い。
雪隠詰めといや、インドという国ではそういう心配は不要
らしい。なぜかといえば、あっちでもこっちでも腰布をチ
ョイあげてしゃがんでる。何をしてるかと言えば言わずも
がな、、、。流石に女性は、、と思ってると、林の中に場
所を移すだけの話になります。
おおらかといえばそうだし、不潔といえばそうだけど、全
てはやがて海に注ぎ、そして海から帰ってくる。ただひた
すらめぐり、そしてめぐる。生と死も、明と暗も、排泄と
栄養も、なんもかんもが。
日本の場合はひたすら一方通行だけどね。
ウンコの一方通行は人間関係の一方通行に通じるのかも。
インドの子どもたちが貧しくても元気いっぱいなのは、自然
の偉大なる循環の中で育ってるからかも。ウンコバンザイ。




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2023年05月07日

どこか遠くへ、行きたい <コンビニシンドローム>

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電車、テキストの画像のようです

どこか遠くへ、行きたい
<コンビニシンドローム>




セブイレ、ファミマ、ローソン、アンピン、、、
コンビニチェーンは全国横断の品揃えの”独自性”。そうい
う自己主張しかない侘しい限りの独自性である。
資本の集中が我々の身近な生活にまで侵入し、生活文化を
画一化してしまった。
そして、全国横断の独自性が地域の独自性を情け容赦なく剥
ぎ取ってしまった。どこの街や村に行ってもウンザリするく
らい同じ風景、旅の楽しみなんかどこかに吹っ飛んでしまっ
た。問題なのはそのことに違和感を感じなくなったこと。
そうなると人間の顔もセブイレ、ファミマ、ローソン、アン
ピンなんかのどれかになって、しかもそのことに違和感を感
じなくなるのかな?
TVに出てくる美男美女もセブイレ、ファミマ、ローソン、ア
ンピン、、、のどれかになってしまった。名前を覚えられな
い(年齢のせいもあるけど)。
だからたまにアクの強い、美女とは程遠い俳優さんなんか出
てくると嬉しくなってしまう。
休日のたびにチラシが入ってる建売住宅も同じようなもんで
ある。我が家の界隈にも、地震の後に雨後の筍のように立ち
並んだ。特徴らしき特徴がないのですぐ道に迷ったりする。
昨日のような今日があり、今日のような明日がくる。時間の
中でも迷ってしまう私たち。十年後はどうなってるのやら。
まっどうでもいいか。
どこか遠くへ行きたい、知らない街を歩いてみたい、って
歌が昔流行ったなあ、あんな情感溢れる歌も無くなった。
あの頃からなにかがおかしくなったような気がする。



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2023年03月24日

WBCと天邪鬼

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1人以上、スポーツをしている人、スタジアム、テキストの画像のようです


WBCと天邪鬼



たかが野球という人だっているかもしれない。また、たかが
スポーツという人だっているかもしれない。でもあえて、
されど野球だ、スポーツだ、と言いたくなるのはなぜだろう。
準決勝で敗れたメキシコの監督がこんなことを言ってた。
「真の勝者は世界の野球だ」
どんなつもりでいったのかは知らないが、この際うんと拡大
解釈して
「真の勝者は世界だ」
でも良いと思う。真の勝者はかくありたい。世界にはいろ
んな(経済とかマネーとか)ゲームがあるけれど、かくあ
りたい。勝っても負けても爽やかで胸がいっぱいになる。
そんなことをひょっとすると思ったのかもしれないなんて妄
想がよぎったりする。
日本人だから日本チームが優勝したのが嬉しいのは仕方がな
いとしても、どうもそれだけじゃなかった。勝ち方もドラマ
チックだったが、それだけでもなかった。
伏線の部分として、かってないほどうら若い選手が主力だっ
たことは見逃せない。プロとしての実績どころかアマとして
の実績もあまりない選手だっていた。そういう選手たちが
(特に決勝のアメリカ代表とのゲームでは)錚々たるビック
ネームのバッターたちに物怖じせず溌剌と真っ向勝負をして
ねじ伏せた。たかだか年俸300万円のピッチャーが年俸30億
円とか40ウン億円のバッターに挑んで勝った。フォアボール
ではなく空振り三振。
かの強打者たちは恥ずかしいと思うよりも、不思議という
か唖然たる思いだっただろう。一体何が起きたんだと思った
だろう。こんなはずがないって、、、。
大谷翔平選手の通訳である水原一平さんが言ってた。
「こんなに楽しそうに野球をやってるショーヘイを始めて
見た」って、、、。でも、、、
最後の最後のチームメイトのトラウト選手との一騎打ちは
これ以上はないクライマックスとなったが、イッペイさんも
ショーヘイさんも緊張で吐きそうになったそうだ。
ゲームの終盤に大谷選手がダグアウトとブルペンを行ったり
来たりする珍しい光景が見られたが、あれは栗山監督が指図
したのでもお願いしたのでもなく、一切合財がお任せだった
らしい。大谷選手の自由意志。
大谷翔平という青年は人当たりが良く如才がなくて、上にも
下にも好かれるが、実は本性はちょっとあれ。あれ、って、
つまりすごい天邪鬼らしい。
右向けといえば左を向くなんてことはないが、二刀流なんて
絶対無理だといえば、やってやろうじゃないかとなる。
でなきゃ二刀流なんてやれるはずがない。
そういう気質を監督は熟知していて、それに大谷の入団当時
から賭けたのだった。思うに、、、栗山さんという人もソー
トーなアマノジャクだったのだろう。
何しろ二刀流でメジャー挑戦なんておもろいじゃないかと
思ったのは、日本の球界ではあの落合さんと栗山さんだけだ
ったのだから。
CMに出てくる”アマノジャコ”さんはこういった風である。
「俺たちはヒーローなんだよね」
「ヒーローってそんなに偉いんですか?生きてるだけで偉いん
じゃないですか」(アマノジャコ)
「あなたの名前はなんてえの?」
「答えたくありません」(アマノジャコ)
いやあ、立派!!溜飲が下りるとはこのことである。
かくいう僕も知る人ぞ知る天邪鬼で、右向けと言われても
左向けと言われても意地でも向かない。
嫌煙運動なんてのが始まると、15年間やめてた喫煙を再開
するといった具合である。
ビンボー人のくせにと言われたら、金持ちのお前には言わ
れたくねえ。悔しかったらビンボー人になってみろ、なれね
えだろう。まあ、俺もなかなか金持ちにはなれねえけどな
、、、なんて、メチャクチャ。
それにしても僕やら妻やらがWBCのゲームに涙を流さんばか
りに感激したのはなぜかといえば、それは決まっている。
日本代表チームが誰かさんの影響で、天邪鬼のチームワーク
を完成させて、世界を制したからだと思う。
あれはすなわち天邪鬼が常識を制した大会だったのであり、
しかもそれに世界中が拍手喝采した大会だったのである。



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