2015年06月13日
ハートブレイクジジイ⑭・・時間ってあるの?
ハートブレイク
ジジイ⑭・・・時間ってあるの?
「あなたの未来はみえますか?」
もしまだ若いあなたの、50年先が決定しているとして、
現在からの望遠鏡であなたの日常の生活が覗けるな
らばです・・・・・・
はたしてあなたはどう感じるでしょう?
もしもそれがぼくであったなら、幸不幸に関係なく、
(いやもう亡くなっているか、寝たっきりの病人かもしれ
ません)
そのシ-ンがリアルであるほど、生きる意欲をなくすで
しょう。少なくとも望遠鏡を覗いた事を後悔するでしょう。
もし「時間」が川の流れのように、時系列、数直線のよう
に途切れなく続く、数値の大小前後関係であるなら、
現在の望遠鏡から、未だ来たらぬモノは見えないとしても
過ぎ去った過去ならはっきりと小説のようなストーリーの
流れとして見えるでしょう。でもそれでも所詮死んだ化石
「あなたの未来はみえますか?」
もしまだ若いあなたの、50年先が決定しているとして、
現在からの望遠鏡であなたの日常の生活が覗けるな
らばです・・・・・・
はたしてあなたはどう感じるでしょう?
もしもそれがぼくであったなら、幸不幸に関係なく、
(いやもう亡くなっているか、寝たっきりの病人かもしれ
ません)
そのシ-ンがリアルであるほど、生きる意欲をなくすで
しょう。少なくとも望遠鏡を覗いた事を後悔するでしょう。
もし「時間」が川の流れのように、時系列、数直線のよう
に途切れなく続く、数値の大小前後関係であるなら、
現在の望遠鏡から、未だ来たらぬモノは見えないとしても
過ぎ去った過去ならはっきりと小説のようなストーリーの
流れとして見えるでしょう。でもそれでも所詮死んだ化石
に過ぎませんが。
もし「時間」が過去から現在未来へと続く線路のようなも
のして、あなたと無関係に存在すると仮定してみましょう。
それならいままで述べたように、少なくとの過去の
出来事を想起するのは可能でしょう。
しかし残念ながら、時間の前後関係ではなく、差異の関係
もし「時間」が過去から現在未来へと続く線路のようなも
のして、あなたと無関係に存在すると仮定してみましょう。
それならいままで述べたように、少なくとの過去の
出来事を想起するのは可能でしょう。
しかし残念ながら、時間の前後関係ではなく、差異の関係
として蘇えります。
Aという出来事はうんと昔のことなのに、昨日の事のように
鮮明に浮かんできます。
しかしBという出来事はつい先日の事なのに靄の中です。
そんなことがしょっちゅう起きます。
それははじめに客観な暦のようなものが、あなたの知識と
無関係にあったから、ではないからです。
それはコンピューターのメモリのように、時間とはランダム
鮮明に浮かんできます。
しかしBという出来事はつい先日の事なのに靄の中です。
そんなことがしょっちゅう起きます。
それははじめに客観な暦のようなものが、あなたの知識と
無関係にあったから、ではないからです。
それはコンピューターのメモリのように、時間とはランダム
な関係で、あくまで差異としてインプットし、保存されます。
ですから記憶はメモリの差異にしたがって、大脳辺縁系の
ですから記憶はメモリの差異にしたがって、大脳辺縁系の
主に海馬などの貯蔵庫から、キーワードやその
周辺環境のデータをきっかけにして、よみがえるのです。
そして、暦などの時系列関係は前か後かを明確にする必要
周辺環境のデータをきっかけにして、よみがえるのです。
そして、暦などの時系列関係は前か後かを明確にする必要
があるときに、前もって意識がつくりだしたものです。
(つづく)
Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 08:17│Comments(4)
│アカデミー
この記事へのコメント
・前提として、「時間」ということの意味には「前後関係」と「過去・現在・未来」の二つがある、と考えられます。
・「前後関係」が時間の本質ではないという点は同意できます。しかしその理由は、単なる前後関係では「変化」を説明できない、と思うからです。例えば、「第一次大戦」があって、その後に「第二次大戦」があった(または、「第二次大戦」より前に「第一次大戦」があった)という順序・前後の関係の事実はずっと変化しない。「数直線」は前後関係的な時間把握の仕方ですから、やはり本質的ではないのだと思われます。
・しかし、「過去・現在・未来」という時間様相の方はどうなるのですか?「前後関係」の時間を否定できても、この時間様相の方は否定しえないように思うのですが。というのは、およそ「変化」というものが可能であるためには、時間様相を(いわば〈要請〉として)前提とするほかない、と思うからです。
・「前後関係」が時間の本質ではないという点は同意できます。しかしその理由は、単なる前後関係では「変化」を説明できない、と思うからです。例えば、「第一次大戦」があって、その後に「第二次大戦」があった(または、「第二次大戦」より前に「第一次大戦」があった)という順序・前後の関係の事実はずっと変化しない。「数直線」は前後関係的な時間把握の仕方ですから、やはり本質的ではないのだと思われます。
・しかし、「過去・現在・未来」という時間様相の方はどうなるのですか?「前後関係」の時間を否定できても、この時間様相の方は否定しえないように思うのですが。というのは、およそ「変化」というものが可能であるためには、時間様相を(いわば〈要請〉として)前提とするほかない、と思うからです。
Posted by とみっち at 2015年06月13日 11:10
「時間」の意味が2個あるまでは知ってる。しかし、時間様相という専門領域にまで入ってくると分からないし、勉強するための費用的、時間的余裕も無い。もし分かったとしても、一般の読者に分かるように説明できない。
それにこのブログシリーズは、時間だけではなく、一般の人たちがいかに色んな面で言葉という思い込みに以下に縛られているかを、できるだけ多くの人に分かってもらうかが趣旨である。だからもしその辺を簡単に説明してもらえるならたすかる。
それにこのブログシリーズは、時間だけではなく、一般の人たちがいかに色んな面で言葉という思い込みに以下に縛られているかを、できるだけ多くの人に分かってもらうかが趣旨である。だからもしその辺を簡単に説明してもらえるならたすかる。
Posted by むつみ会
at 2015年06月13日 12:47

いやぁ、時間の問題を深く掘り下げるのは、哲学的問題でも果てしなく難しい仕事だと思いますよ。というのは、時間の問題を語るのに、時間を前提とした概念を用いざるをえないのですから。思考と言葉が破綻してしまう。
だから、これこそ問題だよっ、てことを簡単に説明するのは、僕にはまだできません(いつかやります)。
もっとも、時間の謎を本当に理解している哲学者(に限らず、人間)は、通時的にも共時的にも、たぶん世界に数えるほどしかいないと思います。だから、〈答え〉ではなく〈問い〉をクリアに語ることができれば、それだけで哲学的に凄いことなのだと思います。
だから、これこそ問題だよっ、てことを簡単に説明するのは、僕にはまだできません(いつかやります)。
もっとも、時間の謎を本当に理解している哲学者(に限らず、人間)は、通時的にも共時的にも、たぶん世界に数えるほどしかいないと思います。だから、〈答え〉ではなく〈問い〉をクリアに語ることができれば、それだけで哲学的に凄いことなのだと思います。
Posted by とみっち at 2015年06月13日 21:42
うん、ようく分かる。言葉の表現力とのギャップが、真実に近づこうとすればするほどに、思い知らされるんだよね。でも現状は皆、生きるという、たった一回だけの営為において、言葉に過剰依存しているのみならず、簡単な言葉のカラクリに振り回されているんだよね。言葉のチカラのはるか先にしか真実はないにもかかわらずだ。だから言葉ってそんなもんだよってことを、できるだけ平凡な形で、まずは表現したい。そのうえで近代の大人社会全般が忘失しているものたちを浮かび上がらせていきたいという身の程知らずのチャレンジをしながら残り短い人生を去っていきたいなんておもっているわけだ。久しぶりに手ごたえのある(そっちは物足りないだろうがね)議論を経験して楽しかった。又よろしく。お休み。
Posted by むつみ会
at 2015年06月13日 22:40
