2018年11月20日
賢者は路傍の石から学ぶ
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賢者は路傍の石から学ぶ
余りにもオモロくない教科書について、
T君から貴重なコメントをいただいたことがある。
彼はずっと不登校児だったが、いまは東京の大学で
哲学科の大学院生だ。いまどきどうして哲学?
といえば、永く私淑していた教授に師事したいとい
う一心からだ。そのまま研究室に残るつもりらしい。
かくありなんとも羨ましいとも思う。
コピペに終始するだけの高等教育なんて学問でもな
んでもない。
学ぶとは書物や講義をきっかけかヒントにして、
自分なりに考え、さらにそこから想像と創造の翼を
ひろげることだろう。
①石は眠っている。
②花は目覚めている。
③動物は行動する。
④ヒトは思惟する。
学ぶとはなんぞや?
突き詰めれば①に尽きせぬ興味を持つこと、
なんじゃないかなあ。
④ってのはどうも堂々巡りになりがちなんだよなあ。
今時学問のカテゴリーでいえば、
哲学なんて絶滅種みたいなもんだ。
でもきっともうすぐ哲学の時代が来る、
いやもう来てるな。
T君によれば、中学3年間の英語なんて
3カ月でマスターできるとあったが、確かに・・・
英語だけじゃない全科目だな。素質とかの問題じゃ
ない。学校教育でみょうちくりんにいじくられなかっ
たゆえの話なんだな。
面白くない教科書には組織的な意図を感じると
彼は指摘していたが、
この手にはまず歴史的なカラクリがひそんでいる。
教科書信仰ってのはガチガチのマニュアル主義で、
あのドリル学習に通じていく。
頭にインプットしたデータをほぼそのまま
テスト用紙にアウトプットするという繰り返し、
つまり脳は通過点・・
こりゃ絶対やればやるほど頭はヤバくなる。
受験秀才は知識のコピペ秀才でモノの役に立たん。
それで小学校卒の田中角栄に束になって
手玉に取られた訳だ
何も考えないロボットに脳を与え、
何か考えようとするヒトに脳死を与えようとする。
何を企んでいるのか?
そりゃ碌でもないことだ。決まってる。
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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 08:14│Comments(0)
│教育問題