2020年03月08日

樹木希林を生きる

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樹木希林を生きる




何であれ「創意工夫」によって始めて命が吹き
込まれる。
その「創意工夫」は「好き」からしか生まれない。
よって好きでない”仕事”から生まれた知識も業績?
にも命というものが通っていない。
一から十を、十から百を知る、というが、
これは天才の専売特許ではない。
まさしく「創意工夫」の専売特許であり、独壇場
ということなのだろう。

「知性とは、複数の対立する概念を抱きながら、
その機能を存分に発揮する力」
といったのは誰だったかな?
僕自身も含めて、そういう知性のありかたを考えた
こともない人たちがどんなに多いことか。

庶民はいつの世も主役のはずなのに、なぜいつもま
んまとファシズムの罠にはまってしまうのか?
・・・それは永遠の謎。
その謎を解き明かしたのが余人ならぬ
”ハンナ・アーレント”だ。
ドイツ系ユダヤ人で収容所から脱出しアメリカに
亡命した女流哲学者(ハイデガーの弟子)。

彼女はいう、
「あなたこそアイヒマンなのだ」と。
世界最大の悪は悪魔が犯すわけではない。
それはどこにでもいる平凡な人間が犯すのだ。
人間であることを拒否する悪は、その人間自身
が犯す。
なぜなら大抵の人間は有象無象の木っ端役人
根性にほかならないから。
あなたは学校や職場でマニュアル主義や、パタ
ーナリズムでなんでもかんでも分かったつもり
になってはいないか。頭の中に分からないこと
だらけのストックスペースを持っているや否や。
ボタンを押すように回答を出したら、
それがすなわちアイヒマンへの入口なのだ。
考える力とは何であるか?
それは問題の善悪や美醜を見分けかぎ分ける感じ
る力に他ならない。
単純な正義感を振り回す人間はアホだと、
ハンナ・アーレントは云った。

しかしいうまでもないことだが、人間は、いや生
きとし生けるは元々無能でなかったし、アイヒマン
でもなかったのだ。いつかしらそういう極め付けで
世の中ができあがってしまった。
その極め付けとは何であるか?

「性悪説」

・・・・・・だ。
秦の始皇帝の中国統一は、民衆や兵士を凡そ物事を
考えず感じないロボットに仕立て上げる事でなった。
(但し二代目の胡亥になるや瞬く間に滅亡)
国家は官僚や法律などの制度によってつくられてい
るが、この制(度)というのは皇帝の命令のことで
命令一下、国家が一糸乱れぬ団結をもって外敵に当
たり、威圧する意に他ならない。

その千八百年後、英国のホッブズは荀子を踏襲して、
かのリバイアサンを、国家論を著した。
西洋近代の国家とは、外辺(海の向こう)に向かっ
て膨張していく組織である。
始皇帝が中国大陸中原という世界の統一をめざしたよ
うに、西洋列国は地球という世界の統一をめざした。
国民を兵士というロボットに手っ取り早く育て上げる
ことでである(国民皆兵)。
そして、その手法をそっくりそのまま移植したのが、
明治維新にほかならない。

日本最初のベストセラー『 学問のすすめ 』は当時の
日本人の十人に一人が読んだ。その中の有名な言葉が
「 天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず 」。
平等を説いた言葉だが、その後に、次のような意味の
言葉が続く。
「 けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人と
愚かな人、貧乏な人と金持ちの人、身分の高い人と低い
人がいる。その違いは何だろう?。 
賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによってできる
ものなのだ。人は生まれながらにして貴賎上下の別はな
いけれど、ただ学問を勤めて物事をよく知る人は貴人と
なり富人となり、無学な人は貧人となり下人となるの
だ。」

このとき福沢諭吉は”学問を勤めて物事をよく知る人々”
なるものが、まさかアイヒマンになろうとは思いも及ば
なかっただろう。
また昭和初期の何か国語も流暢にこなすような、卓越し
た知識人たちが、満州から始まる日中十五年戦争におい
て、トンチンカンなことばかりを繰り返そうとは予想だ
にしなかっただろう。
さらには、戦前戦後の知識人の言動がかくも見事に反転
断絶したあられもない姿を見ても、青少年諸君、ひたす
ら学問に励め、と無邪気に叫んだだろうか。

学問は学びたいという動機があり、真に賢くなりたいと
いう理想があって、初めて学問たるのであると思う。
勤めて、ただ物事をよく知ることでもなければ、地位と
名誉を獲得したい一心でなすものでも断じてない。
「既存の社会に子どもを合わせるのではなく、子ども
の可能性を伸ばし、その自由な発想で人間的な社会を
つくる」と、ルドルフ・シュタイナー(1861~1925年)
言ったが、それこそが正しい理に適った学問のありか
ろう。
自我の欲求を満たすためでなく(それは他人の犠牲を
前提にする場合が多い)、自ら体験し、考え、自ら生
きる、あの世に旅立つときに、心の底の方でああ、よ
かった思えるために人は学ぶ。
その根底にあるものとは何か?

『性善説』である。

人間とは本来善なるものであり、その善なるものを発現
するために人は学び、生きている限りどこまでも伸びて
ゆく。

そういう風に、世界の教育の潮流は大きく変わりつつ
あるが、残念ながら明治の学校令をそのまま踏襲し、
人間性悪説によって日々子どもたちを歪な存在に
飼いならすことに躍起となっているように見える。

樹木希林さんを多くの役者さんたちが目標にしたが、
誰一人遠く及ばなかった。彼女は役者たらんたるため
にではなく、人間たらんたるためにあったのだ。




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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 08:10│Comments(0)アカデミー教育問題h
 
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