2022年04月23日
次なる100年、その4
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次なる100年、その4
「多くの人はAIがこの危機の救世主だと思ってい
るが、この危機を救済するのはAIでなく芸術である。
機械ではなく、機械によって奪われた人間精神がこ
の危機を救済する。それがこの本の結論である」
(水野和夫)
”昨日の専門家は明日の専門家ならず。”
という言葉くらい二十一世紀という時代を言い得ている
ものはありません。
”、、、ならず”どころか、足を引っ張るのに躍起になって
いるような気さえします。
彼らの言うことなすことの全てがハズレくじになっている
ようです。
何か僕たちが小学生だったころの駄菓子屋さん店先の、あ
のくじ付きの飴玉を思い出します。飴玉を買っても買って
もハズレばっかし。
彼らの原理原則に照らし合わせると、今の世の中に起こる
ことは例外だらけになっています。つまりは例外が定常状
態になっているわけです。もう想定外などと言ってごまか
せる状況ではありません。
それでも彼らは自分の意見を頑なに変えようとはしません。
それはそれで仕方のないことかも。なにせ彼らは二十世紀
(前世紀的な)原理原則を飯の種にしているからです。
政界、財界、学界などのほとんどのオーソリティが前世紀
的な遺物になっているのが現状のようです。
水野和夫さんが、何より”芸術精神”がこの危機を救済すると、
800頁もの大著(次なる100年)の結論としているのはとて
も意味深な趣があります。
というのも、そもそも近代の科学というものの欠点は、
AとBは同じという、対象の認識の仕方から出来上がってい
るところにあると考えます。
万事を(森羅万象をも)共通点で括って(分類して)”分か
った”という気分になるのが科学だとも言えます。分かった
というのは分けるというのと同義なのです。
これは下手を打つと実りなきパターナリズムの罠に陥る危険
性を孕んでいますが、その通りになっています。
学校のカリキュラムがその典型であると言えます。先生が
「みなさん、分かりましたか」と言って、生徒が「はい、
分かりました」と答えて、それで終わりです。
それに対して「芸術」は、AとBは違うというところから出発
します。だから芸術をやると、やればやるほど分かるのでは
なく分からなくなるのです。
そして、、、、人の心も世の中も宇宙もわからないことだらけ
なのです。精神は(魂といってもいいでしょうか?)は分から
ないこと(未知の世界)にチャレンジすることで成長し、デ
ッカくなるのであって、その逆では断じてありません。
資本の暴力性によって、債権国(米国)が世界中を債務国に
して、支配しようというシステム統合のやり方が、人々の世の
中の結びつきを破壊し、人々の精神性を限りなく収縮させよ
うとしている。
それがきっと水野さんの言っている時代の危機の正体なのだと
思います。
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次なる100年、その4
「多くの人はAIがこの危機の救世主だと思ってい
るが、この危機を救済するのはAIでなく芸術である。
機械ではなく、機械によって奪われた人間精神がこ
の危機を救済する。それがこの本の結論である」
(水野和夫)
”昨日の専門家は明日の専門家ならず。”
という言葉くらい二十一世紀という時代を言い得ている
ものはありません。
”、、、ならず”どころか、足を引っ張るのに躍起になって
いるような気さえします。
彼らの言うことなすことの全てがハズレくじになっている
ようです。
何か僕たちが小学生だったころの駄菓子屋さん店先の、あ
のくじ付きの飴玉を思い出します。飴玉を買っても買って
もハズレばっかし。
彼らの原理原則に照らし合わせると、今の世の中に起こる
ことは例外だらけになっています。つまりは例外が定常状
態になっているわけです。もう想定外などと言ってごまか
せる状況ではありません。
それでも彼らは自分の意見を頑なに変えようとはしません。
それはそれで仕方のないことかも。なにせ彼らは二十世紀
(前世紀的な)原理原則を飯の種にしているからです。
政界、財界、学界などのほとんどのオーソリティが前世紀
的な遺物になっているのが現状のようです。
水野和夫さんが、何より”芸術精神”がこの危機を救済すると、
800頁もの大著(次なる100年)の結論としているのはとて
も意味深な趣があります。
というのも、そもそも近代の科学というものの欠点は、
AとBは同じという、対象の認識の仕方から出来上がってい
るところにあると考えます。
万事を(森羅万象をも)共通点で括って(分類して)”分か
った”という気分になるのが科学だとも言えます。分かった
というのは分けるというのと同義なのです。
これは下手を打つと実りなきパターナリズムの罠に陥る危険
性を孕んでいますが、その通りになっています。
学校のカリキュラムがその典型であると言えます。先生が
「みなさん、分かりましたか」と言って、生徒が「はい、
分かりました」と答えて、それで終わりです。
それに対して「芸術」は、AとBは違うというところから出発
します。だから芸術をやると、やればやるほど分かるのでは
なく分からなくなるのです。
そして、、、、人の心も世の中も宇宙もわからないことだらけ
なのです。精神は(魂といってもいいでしょうか?)は分から
ないこと(未知の世界)にチャレンジすることで成長し、デ
ッカくなるのであって、その逆では断じてありません。
資本の暴力性によって、債権国(米国)が世界中を債務国に
して、支配しようというシステム統合のやり方が、人々の世の
中の結びつきを破壊し、人々の精神性を限りなく収縮させよ
うとしている。
それがきっと水野さんの言っている時代の危機の正体なのだと
思います。
キューブラー、ロス博士によると、人は死ぬ間際に五つの段階
を通るといいます。
第1段階: 「否認」・死ぬという事実を認めない。
第2段階: 「怒り」・自分の運命に対して憤る。
第3段階: 「懇願」・理由をつけて、神に延命を願う。
第4段階: 「抑鬱」・絶望で精神的に落ち込んでしまう。
第5段階: 「受容」・死を静かに受け入れようとする。
今際のきわの近代は、今どの段階に入るのでしょうか?
まあ、せいぜいいっても第3段階あたりでしょうか。
私たちの天使は第5段階の先で微笑んでいるんですけどねえ。
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