2022年04月26日
グローバリズムとウクライナ・その2 (ゲーテッドコミュニティとスラム)

グローバリズムとウクライナ・その2
(ゲーテッドコミュニティとスラム)
今の世界を可視化すれば下掲の写真になる。
”グローバリズム”とはこういう風景が世界中に広がってい
くということに他ならない。
(向かって左側がゲーテッドコミュニティ、右側がスラム)
そして、法律がそれを手厚く保護するということでもあり、
年々酷くなる世界の貧富差は政府公認ということでもある。
つまるところは、これをバイオレンスと呼ばずしてなんと
呼ぼうか、という話になる、、、はずなのだが。
歴史における茶番劇が世界中で白昼堂々と行われている。
我が国でいうと、あの小泉劇場からアベノミクスへと続く
成長戦略は、まさに三流役者による笑えない喜劇となる。
(貧富差が開いただけだから)
2022年の世界でいうと、ウクライナである。三流役者はゼ
レンスキー大統領。
よせばいいのに、グローバリズムの旗振り役を演じたのは
いいが、反撃にあって泣きべそをかいている。
かって、捕えられた海賊に向かってアレキサンダー大王は
言った。
「我々に敵対して海を占拠して何の意味があるのだ?」
すると、海賊の親玉は胸を張って応えた。
「全地上を支配して何の意味があるのかね?オレたちが小
さな船で略奪を行うと泥棒と呼ばれるが、大きな船で行う
アンタは皇帝と呼ばれている」。
皇帝であるアレキサンダーがどう応じたかわからない。
どんな形であれ暴力は所詮暴力であり、暴力である以上、
暴力は暴力を生み、憎しみは憎しみを生む。
そういう下からの暴力と憎しみを怖れて、富裕層は自分た
ちの町の周りに高くて分厚いフェンス(城壁?)を設けざ
るをえなくなった(ゲーテッドコミュニティ)。
ウクライナとロシアの国境線も壁である。ゲーテッドコミ
ュニティとは真逆の、グローバリズムから自分たちのコミ
ュニテイを守ろうとする壁である。
にもかかわらず、貧しさにあえぐ日本国民までがゲーテッ
ドコミュニティ側の応援をしている図は、笑えない喜劇とい
うしかない。
どんな暴力も(つまりゲーテッドコミュニティの暴力も)法
律の範囲内である限り合法的となるが、食うや食わずの隘
路に追い込まれたスラムの住人は法律で守られない限り、
法の外部に飛び出すしかない。
当然犯罪者となれば刑務所にいれられる。スラムの急増と比
例するように犯罪も急増中である。もうじき刑務所も満杯
となって、順番待ちとなるかも知れない。
犯罪者になりたくないなら、傭兵になるという手もある。
戦争フェチを除けば、今の傭兵部隊の大半はスラム出身者
である。
そして富裕層が彼らに報酬を与えて戦場に送る。ウクライナ
の市街戦はもう彼らなしには戦えない。
そして今や軍事産業の人的資源は”彼ら”である。”彼ら”抜き
で二十一世紀の世界の紛争や戦争は考えられない。
しかし肝に銘じておくべきは、富裕層からなるグローバリス
トと彼らの関係は信頼や尊敬に基づくものでは無論なく、た
だの雇用関係でしかないということである。
それどころか、彼らはまさしく二十一世紀世界の火薬庫みた
いな存在で、爆発するべきときを今か今かと待ち構えている
と考えるべきだろう。禁断の核兵器でもを手にすればどうな
るか。失うものがない人間がその気になればどんなに強いか
世界は思い知ることになるかも知れない。
(ゲーテッドコミュニティとスラム)
今の世界を可視化すれば下掲の写真になる。
”グローバリズム”とはこういう風景が世界中に広がってい
くということに他ならない。
(向かって左側がゲーテッドコミュニティ、右側がスラム)
そして、法律がそれを手厚く保護するということでもあり、
年々酷くなる世界の貧富差は政府公認ということでもある。
つまるところは、これをバイオレンスと呼ばずしてなんと
呼ぼうか、という話になる、、、はずなのだが。
歴史における茶番劇が世界中で白昼堂々と行われている。
我が国でいうと、あの小泉劇場からアベノミクスへと続く
成長戦略は、まさに三流役者による笑えない喜劇となる。
(貧富差が開いただけだから)
2022年の世界でいうと、ウクライナである。三流役者はゼ
レンスキー大統領。
よせばいいのに、グローバリズムの旗振り役を演じたのは
いいが、反撃にあって泣きべそをかいている。
かって、捕えられた海賊に向かってアレキサンダー大王は
言った。
「我々に敵対して海を占拠して何の意味があるのだ?」
すると、海賊の親玉は胸を張って応えた。
「全地上を支配して何の意味があるのかね?オレたちが小
さな船で略奪を行うと泥棒と呼ばれるが、大きな船で行う
アンタは皇帝と呼ばれている」。
皇帝であるアレキサンダーがどう応じたかわからない。
どんな形であれ暴力は所詮暴力であり、暴力である以上、
暴力は暴力を生み、憎しみは憎しみを生む。
そういう下からの暴力と憎しみを怖れて、富裕層は自分た
ちの町の周りに高くて分厚いフェンス(城壁?)を設けざ
るをえなくなった(ゲーテッドコミュニティ)。
ウクライナとロシアの国境線も壁である。ゲーテッドコミ
ュニティとは真逆の、グローバリズムから自分たちのコミ
ュニテイを守ろうとする壁である。
にもかかわらず、貧しさにあえぐ日本国民までがゲーテッ
ドコミュニティ側の応援をしている図は、笑えない喜劇とい
うしかない。
どんな暴力も(つまりゲーテッドコミュニティの暴力も)法
律の範囲内である限り合法的となるが、食うや食わずの隘
路に追い込まれたスラムの住人は法律で守られない限り、
法の外部に飛び出すしかない。
当然犯罪者となれば刑務所にいれられる。スラムの急増と比
例するように犯罪も急増中である。もうじき刑務所も満杯
となって、順番待ちとなるかも知れない。
犯罪者になりたくないなら、傭兵になるという手もある。
戦争フェチを除けば、今の傭兵部隊の大半はスラム出身者
である。
そして富裕層が彼らに報酬を与えて戦場に送る。ウクライナ
の市街戦はもう彼らなしには戦えない。
そして今や軍事産業の人的資源は”彼ら”である。”彼ら”抜き
で二十一世紀の世界の紛争や戦争は考えられない。
しかし肝に銘じておくべきは、富裕層からなるグローバリス
トと彼らの関係は信頼や尊敬に基づくものでは無論なく、た
だの雇用関係でしかないということである。
それどころか、彼らはまさしく二十一世紀世界の火薬庫みた
いな存在で、爆発するべきときを今か今かと待ち構えている
と考えるべきだろう。禁断の核兵器でもを手にすればどうな
るか。失うものがない人間がその気になればどんなに強いか
世界は思い知ることになるかも知れない。