航海したければ海と仲良くなれ(2)

2025年03月27日

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航海したければ海と仲良くなれ(2)




たぶんこのままでは、都市圏という船は地球の生態圏とい
う大海で沈没するだろう。生き残るのはひょっとすると限
界集落と呼ばれる場所のごく少数の住民だけかもしれない。
皮肉な話である。
にもかかわらず、みんなが都市を目指すのは死に(滅び)
たがってるからかもしれない(集団自殺)、なんてトンデモ
ナイことを思ったりする。意識上にあるものと意識下にあ
るものとはときにそんな齟齬をきたす。また人は主語を理
解できない。他人に死ねというのは自分に死ねということ。
近代社会はあまりにも生命の原理から隔たりすぎていたよ
うな気がする。生命原理とはすべからく自然の原理であり、
近代社会を支えてきた経済原理はあまりにもこの自然の原
理に背き続けてきた、というより限りなく自然の原理を壊
すことで生きながらえてきたにすぎない。それが限界点に
達したのが21世紀という時代なのだろう。
金利ゼロあるいはマイナスになってマネーが主役の経済の
あり方が終わりを告げれば、次には土地所有が主役となっ
た産業革命前の領主制が復活するかといえば、それも違う
ような気がする。情報過多の時代に育った秀才がどうもそ
んな了見違いに陥りがちなのは文字が全てと思っているか
らだろう。
今私たちが直面している難問はたかだか数千年の有史時代
の常識では解けない。文字がなかった先史時代は数十億年
なのである。そしておそらくその数十億年の歳月の中で何
度か起きた”認知革命”が今必要不可欠となっている。
いわゆる”認知”は、私とあなたと外界という三項関係を共
有するところから生まれるが、そのうちの外界が今のまま
では成立しなくなっている。中村桂子さんのいう”40億年前
の細胞から続く壮大な物語”の結末なのである。
今私たちが正面から向き合わなければならないのは「所有」
という観念にほかならない。マネー資本主義とはまさしく
この「所有」という観念の成れの果てなのである。だから
して、所有という既成観念を乗り越えない限り私たちの未
来はないだろう。
なぜかというと、所有はヒトとヒトとの交換経済から派生
したものであるからだ。そしてこのヒトとヒトとの交換経
済はヒト以外のものから限りなく収奪することで成り立っ
ている。ヒト以外のもの、すなわち自然はひたすら見返り
を求めない贈与という行為で成り立っているのである。ギ
ブアンドテイクはこの巨大な贈与とう恩恵をベースにして成
り立っている。
哲学のノーベル賞を受賞することになった柄谷行人(からた
にこうじん)さんによると、、、
帝国と帝国主義は別物らしい。ローマ、ペルシャ、モンゴル
(江戸幕藩体制も?)などは帝国ではあったが、帝国主義
ではなかった。
帝国主義とは、、、(近代)国家の事で、具体的なものを一切
合財捨象した抽象的な空間のことである。具体的なものを認
めたくないので、具体的なるがゆえに相異なる固有の価値観
や文化や歴史が軽んじられる。近代が国家間対立と憎悪と戦
争の時代であったのはそのためである。AとBは異なるという
近代前には当然だった認識の原理が軽んじられる。
帝国はそういう原理を基盤にした緩やかな枠組みで成り立っ
ていた。(属地性を持たない遊牧民族、たとえばウクライナな
どは別として)
そういう次第で、欧米諸国をはじめ、中国にロシア(維新後
の日本も)民主主義や自由主義、社会主義という名を借りた、
帝国主義という実体を持っている。
先住民族を追い出してできたアメリカという国がその典型で
ある。アメリカは他の国にあるような、先祖代々が長い歳月
所与の自然の体系の中で培ってきた固有の歴史がない。また
産業革命とともに欧州において曖昧になったキリスト教絶対
信仰が残存していて、非常に独善的である。これからの社会
にとって独善ほど有害なものはない。
すなわちアメリカは未来だけがあって過去のない国だと言え
る。その未来がブラックボックスに入った二十一世紀におい
ては、この国が国としてよって立つ基盤が脅かされつつある。
したがって、アメリカナイズされた国はみんな大なり小なり
同じような事情を抱えている。
もし私たちの船がこれからも航海したいなら、海と仲良くな
るしかない。海とは生命の起源であり宝庫である。だが近代
社会の人間たちはただの水としか思っていなかった。土地も
同じで、ただの土としか思っていなかったのである。
しかしこの地球上のすべての価値あるものは、その海と土か
らしか生まれないのである。




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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 14:56
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あなたは最後までページをめくれるか?

2025年03月15日

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ムカデ、、「松文 x 貓 貓大 大 特谷 我 谷 軍 軍橙 智 通 キ 丰民 れ 眠 生 生毛 モ きい V き 物 めぺあ < な れジた れ ジ た ま を は す 最 か Senan L1 Ma 6 ホ 後 F ま H 認 で」というテキストの画像のようです


あなたは最後までページをめくれるか?




モノが売れないのは給料が上がらないから。
じゃあ、給料が上がりさえすれば万事メデタシといったと
ころだろうが、そうは問屋が卸さない。
給料が上がらないのはケチンボだからではなく、お金がな
いからである。そんなはずはないだろう。しかし現実であ
る。いや、あるにはあるのだが、会社の儲けが寄生虫に吸
い獲られている。
寄生虫とは・・・国際金融資本。この寄生虫が宿主である
会社を、従業員の実入りを、需要を食い潰している。なん
のための資本って?資本のための資本、カネのためのカネ。
そんな小学生でもわかるリクツをエリート学者どもが、ネ
オリベラリズムなんて大層な名前をつけた。さっぱりわけ
がわからないご都合主義の市場原理?が貧乏人と大金持ち
を生み出した。そして、大金持ちが刀を振り回して貧乏人
を切り殺しているようなもんである。戦争よりタチが悪い。
ただその刀は両刃の剣になっていて、返す刀で振り回すご
本人を傷つけているんだからとんだお笑い草である。一方
ではお金がなくて人が死に、他方ではお金に埋もれて死ん
でいく。
お金に埋もれて死んでいく自分の国を目の当たりにしてトラ
ンプは慌てまくった。ウクライナの戦争でくたばるのは俺っ
ちの国じゃねえのか?
ソヴィエト連邦の崩壊で空白地帯となった東欧なんかうって
つけの草刈場となった。ウクライナも標的となったが、と
にかく国境地帯のことだし、ロシアも手をこまねいておられ
なかったのがあの戦争である。ロシアにとって、ウクライナ
とは対ネオリベラリズムの最後の防波堤なのだろう。
、、、ってなことを言っても別にロシアやプーチン贔屓という
わけでもない。子ども騙しのネオリベは世界の敵という、当
たり前のことを当たり前に喋っているだけである。
まあ、要するに一時が万事アホ丸出しってことだから、数年
で自滅するんだろうけど、犠牲はできるだけ少ない方がいい
に決まっているからね。






  


Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 09:57
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考えることについて考える(SINN) ・・・バカの壁

2025年03月09日

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考えることについて考える(SINN)
・・・バカの壁
人間は考える葦である、、、と考えたのはパスカルですが、
マルクス・ガブリエルという人は、その考えるという意味
そのものについて考えました。時代の要請みたいなものな
のかな?だって考えれば考えるほど(考える葦)世の中が
おかしくなってきたのですから。チンプンカンプンになっ
てきた。
人間が生きていくための”意味”とは何かといえば、いうま
でもなく”よりよく生きる”ということにほかなりません。
しかしどうも人間は考える葦になることによって、よりよ
く生きることから見放されたような気がします。
そこで彼は考えました。思考(考える)というのも視聴覚
のような感覚ではないかと。もしそうであれば、他者と共
有できるものでなければ意味がなくなります(独りよがり
?)。つまりはよりよく生きることができなくなります。
そう言われてみれば、ハッとするようなことが確かに今まで
たくさんあったような気がします。たとえば言い合いをし
て、お互いの理解が深まるより、逆に溝が深まる。場合
によってはそんな溝をずっと引きずってしまうことになる。
そうなれば世の中にとって大きな減点となります。
養老孟司さんも「バカの壁」でこう言ってます。
「”話せばわかる”なんて大ウソ! イタズラ小僧と父親、イス
ラム原理主義者と米国、若者と老人。互いに話が通じない
のは、そこに”バカの壁”が立ちはだかっているからである。
いつの間にか私たちを囲む様々な”壁”。それを知ることで
世界の見方が分かってくる。」
トランプとゼレンスキーの間に立ちはだかっているのもバカ
の壁?
核抑止論なんてのになると人類史上最強のバカの壁?
思考とはバカの壁でもあるのでしょう。、いやマジで。
‎1人、スローロリス、ダッフルコート、‎、「‎考えることを考 を考える 思考のメカニズムについて こついて ام‎」というテキスト‎‎の画像のようです
すべてのリアクション:
末永節男






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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 10:01
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ほんとの空が見たいといふ

2025年03月08日

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ほんとの空が見たいといふ



「僕の前に道はない。僕の後に道はできる」
・・・ってなことを日本の文化人は言ったが、
中国の文化人はこう言った。
「地上にはもともと道はない。歩く人が多くなれば、それ
が道となる」
この二言は似て非なるものであった。
日本人は亡き妻の面影を胸に己の夢を道という一語に託した。
中国人は新しい時代を生きようとする人々の希望を道という
一語に託した。
そして日本人は己の夢を貫き、中国人の夢は粉々に砕け散った。
挫折した夢をつなごうとした別の中国人はこう嘆いた。
「人民とは砂のようなものだ。掴もうとすると指の隙間
からこぼれる」
まさに人民とは砂で、固めてつくったものは砂の城である。
またこの世とは砂漠のようなものであって、どんなに歩く人
が多くなろうと、一朝にして足跡の影もなくなる運命である。
砂と思えばそうなるしかない。そして私たちは砂の城の住民
となり、あてどない砂漠の迷いびととなるしかない。
しかし、人民とは断じて砂などではなく、土であり大地で
あることを我々はいつしか忘れてしまったのだろう。
大地の上から仰げば無数の星々が輝いている。宇宙からす
れば地球などけし粒より小さい。だから大地の上で生きて
いる人からはこんな言葉だって出てくる。
「今日は死ぬのにもってこいの日だ。生きているもの全てが
私と呼吸を合わせている。全ての声が私の中で合唱している。
全ての美が私の目の中で休もうとしてやってきた・・・・」
(インディアンの古老の言葉)
私たちが持っている知識というのは”歴史”から拾い集めた
ものだが、その”歴史”なるものは、歩く人が多くなってでき
た砂上の道のことである。大地と空の間に刻まれている印に
示唆されたものではない。
大地に根を張って生きているものたちは宇宙の子であり、物
事の道理は数の多寡で決まるものではないことくらいは知っ
ている。
私たちの目の中には星が宿っている、といったのは誰だった
か?子どもたちの澄んだ瞳の中には数えきれないくらいの星
々が煌めいている。だから私たちは子どもたちに教えている
ようで、実は知らないうちに子どもたちから学んでいる。
「智恵子は東京には空がないといふ。ほんとの空が見たいと
いふ」高村光太郎という日本人はそう謳い、そしてそう生き
ようとしたのだろう。
ほんとの空が見たいといふ。ほんとの空が見たいといふ・・・
・・・・あなたはどうですか?


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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 11:40
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お金が国を滅ぼす

2025年03月05日

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お金が国を滅ぼす



どうして米国が泥舟かというと、皮肉なことに、ドルが余
りにも強すぎたからでしょう。そのためにマネーゲーム一
辺倒の国になってしまいました。つまりマネー以外にはな
んにもない国に堕し、何も作れないし、人材も尽きています。
なぜマネーゲームになったかというと、いうまでもなく急
速に発展しすぎた資本主義経済が、発展しすぎたゆえに寿
命を縮めてしまったからでしょう。衣食住が満たされれば
(需要がなくなれば)経済は横ばいになり、やがて社会は
今までとは違うものを求めるようになります。そして、今
までの経済が機能不全となったが故に、苦し紛れでマネー
が一人相撲を始めたのでしょう。
いうまでもなく、ごくシンプルに考えて、お金が主役で全て
などというロジックが通用するはずがないのです。どうい
う時代においてもです。それなのに目の前に札束が積まれれ
ば正気を無くしてしまうのが人間の性なのでしょう。お金の
魔力ですね。
プーチンは当然そこらあたりの事情は頭に入っていますし、
(ロシア共和国誕生の経緯を見る限り)またチェスの名人で
すから、もう米国も欧州も打つ手がない(詰んでいる。相手
がなにを指してもキング=王将が取られる)と考えているは
ずです。
ですからウクライナとロシアの戦争は、ロシアの悪手だった
のではなく、ウクライナ(NATO)の悪手だったのでしょう。
それで民主党はかってないような惨敗を喫した。貧すれば鈍
するというやつなのでしょう。それに比べるとロシアの経済
はウクライナとの戦争があっても安定しています。
米国がグローバリズムを仕掛けたわけですが、そのグローバ
リズムで完敗したのが米国だったのでしょう。
いうまでもなくこれは対岸の火事ではありません。私たち日
本人もマネーという亡霊に取り憑かれています。一日も早く
目を覚まさなければ、米国の二の舞を踏むことになるでしょ
う。そのためにはグローバリズム経済から距離を置き、自給
経済の方向に舵を切るべきだと思います。
今ならまだ間に合うような気がするのですが。どうなのでし
ょうね?政治屋やら官僚やら財界やらを信用しすぎると地獄
を見ることになると思います。これは私たち一人ひとりの
問題にほかならないのです。


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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 13:20
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牛馬のごとく・・・

2025年03月04日

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牛馬のごとく・・・




勤労精神なんて言葉は、そもそも世の中にあくせく働くこ
とが好きな人間なんて金輪際いないからこそ出てきたんだ
ろうな。動物の世界にはそんなもんないし、あったらおか
しいし、それから、なんたってヤバい。誰が牛馬の如くな
んて言い出したんだろう。勤労精神ってのは牛馬になって働
く精神のことなんだ。ご主人様のためにね。
人に働かせて生まれたお金で優雅な暮らしを満喫している
人間にとってはこんなに都合のいい言葉はないしね。その
証拠に、まずそんな類のやつに働くのが大好きなやつはい
ないし、働くのが大好きなやつはそんな類の人間にはなれ
っこない。人の稼ぎを掠め取るのに知恵を絞るやつしかお金
持ちにはなれない。
勤労者階級の人間は働かないと、家庭も持てないし、それ
どころか餓死にするか、ビョーキになるか、凍え死ぬかし
かない。
逆に人に働かせて楽してるやつは、自分が働くとその世界
で村八分になって労働者に転落する破目になるかもしれない。
そういう社会の仕組みをたぶん文明社会というんだろうな。
マネーゲームの世の中なんてそんな社会の仕組みの成れの果
てみたいなもんだろう。
狩猟生活の(日本ではほんの三千年前までそうだった)時
代には、働きすぎると、自分の首を絞めることになりかね
なかった。でないと餌が枯渇してしまうからね。餌(生態
系のこと)には餌の都合ってもんがあるのだし。農耕文化
の時代はほんの数千年だったし、産業革命からあとの貨幣
経済の時代は数百年でもう息が続かなくなってギブアップ
寸前。これが自然の摂理なんだと思うな。
これからの世代の人たちはそこら辺のことをようく頭に叩
き込んでいたほうがいいかもしれない。ほんの一握りの人
間だけが楽できるんじゃなくて、みんなが平等に楽して生
きる方法。
牛馬の労(=勤労精神)というのは偉い人のために働かせ
てください、っていう意味もなくへりくだった言い方なんだ
し、もうそんなのやめにしなきゃね。働けば働くほど世の中
が捻じ曲がっていくだけなんだから。馬鹿みたいな話なんだ
よね。


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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 07:13
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しあわせについて

2025年03月02日


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しあわせについて




しあわせですかしあわせですかあなたは今
何よりそれが何より一番気がかり
みんなみんな幸せになれたらいいのに
悲しみなんかすべてなくなればいいのに

・・・・・・<さだまさし>

ショーペンハウエルという人はこういいました。
「幸福とは人間の一大迷妄である」
・・・なんともかんともにべもないお言葉。自殺する人が
増えるはずだし、イジメで憂さを晴らす人が増えるはずで
すねえ。訳のわからないビョーキにもなります。
でも、人間というもの、いや自然界の全ての生き物は、
生きてるという実感を得る(well-being)ために存在してい
るはずではなかったか。well-beingでなけりゃ、無気力に
なるか、無益な殺生や闘争に身をやつすか碌なことにな
らない。そしていつか滅亡する。
なのに、生きがいなんてどこにもない。まあ、夢を見るの
は勝手だけどね、、、なんて身に蓋もない言い草ではないで
すか。でもそれなのに妙に胸にグサリと刺さるのは身に覚
えがあるからなのでしょう。
みなさんきっと働きすぎなんです。就職する前には受験用の
知識を詰め込むだけの毎日だったし。楽しいならいんでしょ
うけどまさかね。月曜日の朝なんてかわいそうなくらいみ
んな憂鬱そうな顔してますよね。
インターネットが普及すれば少しは楽になるかと思いきや
メールにこき使われて気が休まる暇もないときた。
働きすぎ、というのはこの際置いといても、仕事自体がたい
てい味気ないったらない。なぜ味気ないかというと、仕事が
細切れになりすぎているからなのでしょう。分業というやつ
ですね。世の中そのものが徹底的な役割分担制になってる。
世の中の歯車でしかない人間は、視野が狭くなり、宙に浮
いた感じになって自分の周りしか見えなくなる。他人に対
する思いやりがなくなる。
古代の狩猟採集の暮らしから、農耕の暮らしになると、一変
して労働集約型の世の中になりました。まあ、わかりやすく
いうと”働かざる者食うべからず”。それは産業革命のあと資
本主義の世の中になりますともっとひどくなります。
確かに労働集約型になりますと単位面積あたりの収穫量は大
きくなりまが、単位時間あたりの収穫量は逆に少なくなりま
す。つまり同じ収穫を得るのに長い時間働かなければなりま
せん。働けど働けど我が暮らし・・・ということになります。
ここんところが階級型になった文明社会のマジックのような
ものなのでしょうね。さて、、、、
自然農法というのはいわば自然に実ったものをただ収穫する
だけですからあまり働く必要がない。三千年前の縄文時代ま
での狩猟採集という暮らしはそんな自然農法みたいなことを
やっていた訳です。自然の恩恵で暮らしていたので、自然と
同じように子どもや生命をコミュニテイ全体で大切にしてい
た。
でも農業革命からあとは人力で栽培したもの(米とか麦と
か)しか食べなくなりました。そして産業革命が起きると今
度は働いて得た賃金で、人力で栽培したものを買うしかない
訳です。なんという不経済な話なのでしょうね。ですからク
タクタになるまで日々働かなければ暮らしていけなくなる訳
です。人々もクタクタになりましたが、同じように自然も収
奪されるばかりでクタクタになりました。そうやって、なに
もかにもが疲れ切っているのが今の世の中ではないかと思い
ます。
さてみなさん、どちらがより幸せで、どちらがより人間的な
のでしょうね?特に貨幣経済というのは一見便利なようで
いて、その実はこれほど効率の悪いものはないと思います、
社会システムの末端であくせくと働いているものの立場から
すると、です。
そんなのっておかしいじゃないかといち早く思ったのがお釈
迦さまだったと、中沢新一さんなんかは言っています。仏教
は自然に帰ろうという運動だったって。
ヒンズー教なんかもそうなのかな。”ガンジー経済”は原則な
き政治、道徳なき商業、労働なき富、人格なき教育、良心な
き快楽、人間性なき科学、を克服した二十一世紀に向けた
オルターナティブ(代替)な経済システムを謳った。
利と理と情の三位一体で世の中は成り立っています。ところ
が貨幣経済が定常化してきますと、経済の発展にとって
「情」が足枷になってきました。そして「理」が「情」を切
り捨てるためのものとなりました。
利と理がスクラムを組んで情を抑圧しているのが私たちが暮
らしている世の中の偽らざる現状です。情け容赦のない世界
で私たちは家畜のように働かされているように思われます。
だから、ショーペンハウエルはいったのでしょう。
「幸福とは人間の一大迷妄である」と・・・・。




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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 18:03
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教育ってなあに?

2025年02月28日


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テキストの画像のようです

教育ってなあに?




教えようとすることよりも、教えまいとすることの方を
子どもは素早く覚える。あらわれたことよりも、隠れて
見えないところに興味を覚える。そうやって子どもの人
格みたいなものは培われてゆく。
(子どものころ身に覚えがありますが、みなさんはいか
がですか?)
だから親の期待した通りの大人になるわけではない。も
しなったとしてもそこにはたぶん芯が通っていない。子ど
もの白紙の心には、親が何かを書いていくのではなく、子
ども自身が自らの手で書いてゆくのだろう。
「親」を「大人」に、「家庭」を「社会」に置き換えても
いいだろう。そういうギャップに気づいたとき、ハッと思
うのだろう。できるだけ早く気づいたほうがいいと思う。
時機を逃せば一生悔やむことになりかねない。
今の世の中がとても歪な形になっていくように思える原因
の一つはそれだろう。お仕着せの教育のあり方は健全な成
長を損なう。(塾ばっかり行ってると自分で学ぶ力がなくな
ると思う)
子どもを育てる根本は、子どもに教えるよりも、自分が子
どもに教えられる、ということなのだと思う。子どもとは
”自然”なんだから、”自然”に何かを教え込むというのは人間
の思い上がりなのだと思う。
そしてその根本のさらに根本には、お金に振り回されてい
る価値観があるのだろう。私たちはどんなにあくせくして
も自然を支配することはできない。子どもに教えられるこ
とはすなわち自然に教えられることに他ならない。



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偉大なる凡人

2025年02月25日

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ハート、テキストの落書きのようです

偉大なる凡人



「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」。
「偉人はほとんど常に悪人である」
・・・と、英国の下院議員でヨーロッパ最高の知性と謳わ
れたアクトン卿はのたまったらしい。まあ、その通りだろ
う。ではどうしてそうなるのかといえば、、、、
⑴悪人が権力を握るから。
⑵権力が人を悪人にするから。
⑶私たちが権力を握るべきでない人に権力を握らせるから。
一々もっともだし、かつ正しい。
しかしその解決策となると、ただ途方に暮れるばかりである。
なぜかというと、私たち一人々々の日常からかけ離れた巨大
な組織や社会はそれ自体が機能しないからである。
機能するはずがない。大男総身に知恵がまわりかね、どころ
の騒ぎじゃない。機能しないから絶大な権力が不可欠になる。
そして権力が生まれれば、かくの如しとなる。尻尾に結えら
れた餌を食べようとして、ぐるぐる回ってるアホ丸出しな駄犬
のごとしである。
そして忘れてならないのは、私たちの属する共同体が巨大化
すればするほど、その底辺の無数の中小の共同体の存在感が
薄れていくという歴然たる現実である。頂点の権力が腐敗す
ると、底辺の人々は疲弊する。
人々の生活の原点であり、最も根源的な社会集団は「家族」
である。そこには人間、生活、社会、文化がきわめて凝縮さ
れた形で結晶している。「家族」とは生きとし生けるものの存
在の証であり、最後の希望の灯火である。
なぜならそこには愛情があるからである。そして愛情がある
かぎり、貧しくとも人は生きていけるし、成長していけるし、
平凡な暮らしを非凡に務めていくことができる。英雄も偉人
もいないかもしれないが、非凡な平凡が息づいている。愛情
が豊かな人々は決してめげないし、打ち破れない厚い壁はな
い。そして、愛情が豊かな人々は平凡で平和な暮らしを何よ
りも好む。平凡人はほとんど常に善人である。腐敗しないか
ら風雪の中でも芽を育み、いつか綺麗な花を咲かせる。
問題は・・・である。その家族から愛情がなくなったとき私たち
の世界に何が起きるか、である。


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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 11:37
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理念なき国家&時代 (仁義なき戦い)

2025年02月17日

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理念なき国家&時代
(仁義なき戦い)




理念なき国家は衰退する。衰退する国家は理念を捨てる。
トランプ政権の米国は後者であろう。前者の代表格は日本
なのかな?では、理念なき時代とは?
市場経済の終末を前にして、なりふり構わぬ仁義なき戦いの
幕が切って落とされたということか。生き残りの戦いとい
うより、どちらがより息が続くかということで、欲も得もな
い泥沼の戦い。
そもそも”理念”というフレーズ自体が限りなく怪しかった。
リベラルかコミュニズム寄りかという二択の”理念”でしか
なく、よって、経済という分母である理念自体が俎上に乗る
ことはついぞなかった。さて・・・・・
経済人類学者のジェイソン・ヒッケルによれば、
「資本主義は自然や身体をモノと見なして”外部化”し、搾取
することで成立している、”ニーズを満たさないことを目的と
したシステム”である」という。
モノさえあれば、バラ色の世の中と人生が約束されるという
幻想に取り憑かれたのが今までの時代だった。GDPによって
私たちの幸福度が計られた。笑顔のない架空の幸福を私たち
は公私が一つになって遮二無二目指してきた。
しかし自分の幸福しか頭にない幸福なんてあるはずがない。
幸福とは共有するものであり、分かち合うものだという当た
り前のことから私たちの目を逸らしたのが経済万能の理念だ
った。そう僕は思うし、他の人たちだってなんとなく。
いや、欧米諸国以外の人たちにはそこはかとない違和感が
あったはずだ。モノが我が物顔で闊歩する世の中なんておか
しいだろう、って。
なぜなら欧米以外の人々(特に日本人)の世界観は全体論的
であり、たとえば、仏様は私たちの心の中にあり、その心の
中の仏様に近づくことこそが生きる目的であり、至福につな
がると考える。のみならず、その仏さまは森羅万象のなかに
眠っている、と考える。であるからどんな理由をつけようと
やたらな真似はできない。誰に対しても何に対しても。
それに対し、欧米の人々は二元論的な世界観を持っており、
創造主の神と、その神によって創造された人間とは全く別の
ものであり、のみならず、人間と人間以外の森羅万象を同じ
次元にあるものとは決して考えない。外界のものは人間にな
れないし、人間は神にはなれない。近づくことさえできない。
デカルト以来、精神と物体(自然)を別のものと捉え(物心
二元論)、さらにニュートンの万有引力の法則は身体や外界
の一切を数量化できると考えた。というのが近代経済の理論
的な基盤となったのである。
そういう理論的基盤から派生したイデオロギーにすぎないリ
ベラリズムという思想をあえて捨て去ろうとしているのがト
ランプ政権下の米国というわけである。しかし、経済という
理念そのものを見直さない限りはどうにもならないという発
想は絶対に出てきようがない。だとすると、理念にこだわる
国民と、こだわらない国民によって第二の内戦が起こる可能
性だってありうるだろう。二元論は戦いでしか決着をつける
ことができない。
では私たちの国日本はどうなのかというと、、、、
維新以来欧米的価値観を無反省に猿真似したばかりに、非欧
諸国からは黄色いサルと揶揄されてきた。しかし所詮は猿真
似の付け焼き刃にすぎないから、ヒトがサルに化けただけの
一幕である。だからまだしも救いがある。サル山から降りれ
ばどうにかなる、、かもしれない。アバター(分身)みたいな
ものだから・・・・。
「存在」とは・・・どこで生まれ、誰に誰とともに育てられ
たか、さらにその誰は誰にどこで育てられたか。それがあな
たをあなたとして存在させているし、長い物語のエピローグ
であり、同時にプロローグである。あなたがどう思おうと、
良くも悪しくも物語はあなたを通過点として後々まで続いてい
く、多分永遠に、、、、。それが存在するということの意味なの
だと思う。文化といってもいいかもしれない。
あなたや僕が今サルに見えたとしても、私たちの存在はサルで
はない。そのことを肝に銘じて未来に向かおうではないか。




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経済万能の時代の終焉

2025年02月10日


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経済万能の時代の終焉




人間は自らを破滅させるような大量殺戮兵器を発明した。
何のために?無論自らを破滅させるためではない。でな
いとすれば、、、
何のために?何のために?何のために・・・・・??
答えはあっけないほど単純だから嫌になる。マネーのため。
マネーのためならヒトはなんでもやる。無数の無辜の人々
を犠牲にするのも厭わない。ただひたすら己のために己以
外の人を犠牲にし破滅させて顧みない。
では、それがニンゲンの本性かというとそうではない、絶
対に。つまりそれこそがまさに、マネーというものの魔力
なのだ。マネーがニンゲンを変えてしまった。ニンゲンを
ニンゲンでない何者かにしてしまった。
モノはココロのためにあるのだが(ずっとそうだった)、モ
ノのためにココロがあるという倒錯を起こさせたのは、、、
「経済」である。
この「経済」なるものは今の私たちの社会においてはなくて
はならぬものであり、現代の命脈みたいなものでもあるのだ
と、皆が思い込んでいる。信仰といってもいいだろう。それ
が結果的にニンゲンの命脈を絶とうとしているところに経済
の宿命的なジレンマがあるのだと僕は思う。
今私たちはココロはココロであり、モノはモノであると、別
の次元のものだと割り切っている。しかし、ココロから切り
離されたモノが暴走を始めた時、ココロはどうなり、ニンゲ
ンはどうなるかの実験台に今私たちは否応なく立たされてい
る。いや自ら進んで立っているのかもしれない。
経済万能の時代とはすなわちモノがニンゲンのココロを支配
するということに他ならない。これを人口学という新しい学
術分野から見ると、いかにも怪しげなものとなる。
1798年、マルサスは”人口論”を著し、人口増加は幾何級数を
辿るが、生活物資は算術数的にしか増加しないから、こりゃ
大変なことになるといったが、経済が飛躍的に発展した今私
たちは全く逆の脅威に晒されている。経済先進国ではご存知
のように人口が(生活物資は増えたのに)激減し続けている
のである。
というわけで、フランスの人口学者であるエマニュエル・トッ
ドは経済も経済学者も大嫌いになった。経済はニンゲンを、
ニンゲンの未来を、子どもたちの希望を食らうことで巨大化
してきた。そこで改めて「経済」を人類史の中で位置付けて
みるとどういうことになるのか?
生活物資(モノ)の人から人への移動が双方向になり、タダ
では絶対にやらない、ってよりやってはいけない、でなけれ
ば経済秩序が壊れてしまう(タダほど高いものはない)。
Aというモノをやったら必ずそれと同じ価値を持ったBをもら
う。その価値を表すものとしてマネーが冠せられ、やがてモ
ノとはマネーそのものになってしまった。
さてそれでは、経済の発展とともに人口が激減しているのは
なぜか?それは愛されないから愛さないからである。愛され
るという見返りがない限り愛さない、自分の子どもだって。
非経済的で非合理だから?子どもの成長にはたいてい経済と
合理の思惑が道連れになっている。それが子どものためなの
だと思い込んでいる節がある。
”愛されなかったから愛せない”
そんな連鎖が世の中に音もなく広がってゆく。それはきっと、
コロナよりずっと怖いパンデミックなのだろうな。見返りが
ない限り何も与えない。それがまさに等価交換を建前にした
「経済」が私たちにもたらしたものであった。
”血は水よりも濃い”というが、その”血”とは、同じ人間の血、
同じ生きとし生けるもの相互の血ということでなければ、悲
しすぎるではないか。
”愛されなかったから愛せない”の空間が、”愛が愛を生んでゆく”
空間へと変わってゆかなければならないのだろう。愛とは無
条件だからこその愛であって、条件付きの愛情なんてありえ
ない。
どんなに高価な洋服も手編みのマフラーには遠く及ばない、
というより全く別物なのである。手編みのマフラーに値札を
つけたら、その瞬間に全く別物になるだろう。天使が悪魔ま
がいになりかねない。そんな手編みのマフラーにも値札をつ
けて顧みない今の時代を一言でいうなら、こうなるのだろう。
「今だけ、カネだけ、自分だけ」(堤未果)
人に代わってマネーとモノが主役となった時代は、空間のな
かでは確かに存在していたかもしれないが、人類史という長
い歴史の中にあらためておいてみれば、空虚そのものの存在
のようにしか思えない。
「神が嘘をついたとき、中世は終わった。だとすれば
、、、、紙(カネ)が嘘をついたとき、近代は終わる。
もうすぐ終わる」
         (次なる100年)水野和夫



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逆さま・ニューノーマル

2025年02月06日

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逆さま・ニューノーマル  




死に直面すると、通常生きていく上で不必要だった感覚が
扉を開く。
一つの時代が終わろうとする時、それまでの時代には不必
要だった感覚の扉が開いた人たちを「ニューノーマル(新し
い常態)」というらしい。
それは今までの世の中ではアブノーマル(変態)というとっ
ておきの悪口であった事実をどうかお忘れなきよう。
それに対し、死に直面しようとしている事実があるのに潔
く向き合おうとしない頑迷固陋な人たちを「オールドノーマ
ル」という。
それはこれからの世の中ではアブノーマルというとっておき
の悪口になるだろうということをお忘れなきよう。
オーソリティの言うことなすことが、ことごとくピントハ
ズレになってるなあ、、、なんて思ってたらそういうことだっ
た。一つ念を押しておきたいのは、”ニューノーマル”ではオー
ソリテイーなんて人種も不必要になるだろうということ。
大体が「権威筋が言うには、、、」なんていう説明の仕方がお
かしかったのだ。”権威”もオールドノーマルになるのだろう。
さてと、、、逆さまになるという点においては、市場経済も例
外ではない。
第二次産業(製造)は剰余価値(労働からの搾取)という不
平等を前提にしていたのだが、第三次産業にシフトしていき
剰余価値部分がなくなるにつれ、すべての人間が平等でなけ
れば成り立たなくなっている(逆転現象)。売る人=買う人
であり、売る人≠買う人ではない。
にもかかわらず、第三次産業が利益を上げるためには、、、、
売る人≠買う人でなければいけない。売ると買うの間に差額
が出なければならない。
だが、そもそも第三次産業とは、売る人と買う人が一体とい
うことであって、売る人が利益を上げれば上げるほど、買う
人はいなくなり、いつか行き詰まる。だから第三次を産業と
いうこと自体が間違っている。
モノが溢れて飽和状態に近づけば当然ながら消費は鈍化して
いかざるをえない。この二律背反が昨今の天井知らずの物価
上昇の背景にあるのだが、この問題に触れようとするオーソ
リティーはいない。物価上昇について、いろんな問題点をか
き集めているが、やがてそれでは間に合わなくなるだろう。
そんな類の問題ではないのだから。
かくして天地がひっくり返るようにしてニューノーマルの時代
がやってくる。マネーはいくら投資しても見返りがなくなる
から金利はゼロからマイナスになり、一万円札はただの紙切
れという本来の姿に戻る。紙切れになればお金持ちはいなく
なり、交換経済(等価交換)、貨幣経済は成り立たなくなり、
頭を切り替えないかぎり、私たちは生存していくことができ
なくなる。
今まで私たちはカネとモノに翻弄され続けてきたが、これか
らは愛情と思いやりがとって変わるしかなくなる。そうやって
本当の意味の生活共同体が復活してくるのだろう。でなけれ
ば、形骸化した社会というパラダイム自体が私たちを食い殺す
ことになるのだろう。


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ゴキブリの歌

2025年02月03日

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ゴキブリの歌


とりあえず食うことから追い越されなければいい。
でも、食うことに追い越されると面倒なことになる。
明日は明日の風が吹く、なんて澄ましてばかりもいら
れない。
自分だけなら、ハイ、これまでよ、で諦めもつくが、
コブ付きだとそんなお気楽な気分にもなれない。
今からやく七十年前のオヤジやオフクロの心境がそう
だったんだろうな。
倒産、夜逃げ・・・食えないことより借金とりの方が
怖いってか。それにしても、そんなドン欠になっても、
どうにかこうにか生き延びるってのは奇跡みたいなもん
だってつくづく思う。すべてに見放された境遇になって
も、自分が自分を見離さなければいいってか?
壁をうろついてるゴキブリをみっけて、スリッパを投げ
つける前にほんの二秒待つ気持ちのゆとりもないのはな
ぜか?それは俺はゴキブリじゃないと思いたいからだし、
さしたる理由もなくゴキブリを毛嫌いしているからに他
ならない。
叩いても鼻血も出ないと承知していても、催促の手を緩
めないのは、俺はあいつらのようなゴキブリの類じゃない
と思いたいからだし、自分はもっとゴキブリ的であること
に気づいてもいないからなのだろう。
ご存知のように銀行は「強きを援け、弱きを挫く」代名詞
のような存在であるのだが、にもかかわらずノイローゼに
もならないのは今までの社会に認知された筋金入りのゴキ
ブリであるからだろう。
そうやってどうしようもなく世の中にゴキブリが増殖して
いったのが今までの時代に他ならなかった。そうするとど
うしてもゴキブリどうしの叩き合いになる。それを私たち
は戦争と名付けた。ドンパチの戦争も経済戦争も同じこと
だ。しかし、である・・・・・・
人は自分が捨てたものから捨てられる。これほどはっきり
した歴史の教訓はないのに何も学ぼうとしないのは、今や
私たちのシャバがゴキブリホイホイになっていて、そこか
ら逃れたくても逃れられないからなのだろう。
さて、私たちが捨てたものとは何で、私たちが捨てられよ
うとしてものは何なのか?その質問に答えられるのは、私
たちがちゃんとした人間に立ち返ってからの話なのだろう。



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流れる雲へ・・・

2025年02月02日







流れる雲へ・・・




”ジャガイモもヒトも勝手に育つ”
(養老孟司)
”親はなくとも子は育つ”。これ、昔からよくいうけど。
でも、売り物にすることばかり考えてるとそうはいかない。
ジャガイモもヒトも子どももね。販路に乗っかったまんま
で一生が終わってしまう。こんな惨めな人生はない。老後
のことまで考えて就職先選んだりしていない?40年後の
自分の姿までまざまざと見える一生なんて虚しくないのか
な?僕はヤだなあ。想像もつかないくらいがいい。
さて、親はなくとも子は育つが、子どもがいなけりゃ親は
育たない。でも、昨今ちょっとばかし雲行きが怪しくなっ
てきた。子どもがいるのに、どうも親が育っていない。な
ぜかというと、考えすぎるから、余計なことばっかりね。
子どもは育てるのじゃなく、育つもんだ。試してみりゃすぐ
わかる。そこんところを取り違えるといびつな親子関係に
なる。
親がグレると、子どもはまともに育ち、子どもがグレると
親はまともになる。そんな親子よく見かけるような気がする。
なんか楽しくなるよね。人間の一生なんてグレたりまともに
なったりの繰り返しだしね、いやホントに、どうしようもな
い。それでバランスが取れてるのだとしたら、思うだになん
かすごいことのような気がする。
息を吸ったり吐いたりするようなもんだ。だから、どちらに
しろ取り越し苦労はしない方がいい。どっちもまともすぎる
とちょっとしんどいことになる。息が詰まるしね。四角四面
で肩が凝って仕方がない。
入院中ベッドにしばりつけられてたんで、窓の外の空ばかり
眺めてた。雲ってのはすごいね。千変万化だよ。いっときも
じっとしていないし。
トルストイの小説の中で、戦場で瀕死の重傷を負った、アン
ドレイ、だったかな?が空を見つめるシーンがあるけど、
あんなもんか。生きてるってのはホントに雲のようなもんだ
って思った。何が起こるかわからない。どんな人間になるか
もわからない。
あれはいいけどこれはだめ、なんてことばっかり思ってると、
雲も居場所がなくなるしで、面白くもなんともない。
林檎は木から計算通りに落下するけど、落ち葉となるとそう
はいかない。風と戯れるように、重力なんて知らん顔で飛ん
でいく。さすらいびとみたいにね。どこが墓場になるか、
それは墓場だけが知っている、と空と雲が囁いてる。。





  


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芸術をもて、灰色の労働を燃やせ

2025年02月01日

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芸術をもて、灰色の労働を燃やせ




「芸術をもて、あの灰色の労働を燃やせ!」
といったのは誰だったっけかな?
思えば長い歳月をただ労働のためだけに費やしてきたよう
な気がする。当たり前のように、なんの疑問も抱かずに。
労働に背を向けると”人間失格”の烙印を押された。
しかしである、この歳になって来し方を振り返ると、ただ
ウソ寒い風が心の中を吹きすぎてゆく。生活とは・・・労
働であり、そして労働とは、お金を稼ぐこと以外の何物で
もなかった。お金を稼がなければ家族が生きていけなかった
から?そして、お金を稼げば稼ぐほどに自分というものを見
失っていったような気がする。
働けば働くほど自分を見出していくことにつながっていかな
ければならないのに現実は、働けば働くほどお金の奴隷と
化し、無感動のロボットになっていった。
よし無感動のロボットになっても、それが世のため人のため
になるのなら可としよう。だがまさにその点において疑問符
が突きつけられだしたのが二十一世紀という時代であったよ
うな気がしてならぬ。
”労働”とは、経済学では生産に向けて行う人間の活動、とい
うことになる。だが個人レベルでいえば、与えられた仕事を
文句タラタラでこなすことに他ならず、どこかから材料を与え
られて、どこの誰が使用し消費するのかも皆目わからない生産
をすることでしかない。
確信をもっていうのだが、高度経済成長以来ずっと我々は幸
福というものから見放されていった。ただ少なくとも不幸で
はなかった、というだけのことでしかなかった。幸福ではな
く不幸でもない、という宙ぶらりんの中で生きてきた。
大地と自然からは、費やした労働の対価が返ってくるわけで
はない。そもそも対価という観念がない。そもそも対価とい
う観念があれば地球はとっくの昔に破滅していた。
与えるとは、他人に何かを与えることではない。それは自分
自身に実りを与え、そこに何ものにも代え難い喜びがあるこ
とである。
愛するとは、愛されるために愛するのではなく、愛するとい
う心の動き自体が、自分を活性化し、豊かな気持ちにさせる。
相思相愛とはギブアンドテイクのことではなく、ギブアンド
ギブのことである。結婚四十二年苦楽を共にしてたどり着い
た心境が今ここにある。
”芸術”とは何であるか?自分の心と体を動かすことで、ロボッ
トにも奴隷にもならないことで、自分も他人も、そして生き
とし生けるありとあらゆるものを疎外しないことである。
合理とは算式のようなものであるが、芸術はその対極にあって
我々の人生を創造していくものであり、合理という箱庭のよう
な狭苦しい密室から心を開放していく。
そういう意味からすれば、大地と自然は芸術でもあり、音楽で
あり、絵画であり、果てしのない物語のようなものである。



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楽しくなければテレビじゃない

2025年01月31日

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「楽しくなければテレビじゃない」
かっての(昭和の終わり)のフジテレビの番組編成のキャ
ッチコピー。それでしばらくは視聴率は上がったろうがねえ。
でもね、「楽しいだけがテレビじゃない」てえことを忘れち
ゃおしまいだな、ナンデモ。
夫婦愛とは、、、?と訊かれてある老婦はこう答えた。
すいも甘いも、良いも悪いもひっくるめて、丸ごと愛するこ
とができなけりゃ夫婦なんてやってられない。丸ごと、雲の
ように、空気のように。
「楽しくなければ夫婦じゃない」、でも「楽しいだけが夫婦で
もない」。そうやっておそらくは男女の歴史は実りあるものに
なっていく。
長いあいだ生きてると、楽しくなければ人生なんて面白くな
いし、他方では楽しいだけでも人生なんてつまらない、と考
えるようになる。人間が成長するなんてそういうことだろう
し、人間がおそろしく劣化していった時代の象徴が、あのキ
ャッチコピーになったということなのだろう。楽しけりゃそ
れでいいじゃないか、、、なんて。
貨幣経済は合理的な(等価)交換で成り立っているが、この
合理性とは何かというと、乾いた合理という線上にないあり
とあらゆるものを排除し一切合財認めないということに他な
らない。
ヒトとモノを分離しなければ成り立たないのが貨幣経済なる
ものである。そうなってくると、人の値打ちまでお金で決め
てしまうようになる。人の生涯の一部始終が算盤の上に乗っ
かってしまう。
正直そんな世の中がいつまでも続くわけがないし、実際にそ
うなりつつある。お金の値打ちがどんどん目減りしつつある。
金利がマイナスになればお金なんてただの紙切れだ。そうなっ
て初めて人が愛すべきものが何であるのかが分かるようにな
る。それは自動販売機のようなものじゃない。じゃあ、何な
んだろう??


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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 08:06
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2025年・・・ イデオロギーは敗北する

2025年01月01日






2025年・・・
イデオロギーは敗北する






エマニュエル・トッドは「西洋の敗北」という本を著し
たが、米国はというと、とうの昔に完敗している、とい
うか半ば国家としての実体を失っている。ドルのバブル
という見かけの繁栄に目をくらまされているだけだろう。
札束の山の上に乗っかって世界を睥睨しているだけだ。
だが、グローバルの巨大財閥に乗っ取られた国は束の間
の繁栄に酔いしれ、それゆえにまた凋落する。
では資本の勝利かといえば、これまたとんでもない勘違
いだろう。社会主義が敗北したように、資本主義もまた
敗北する、敗れるべくしてだ。これを何というかといえ
ば、”イデオロギーの敗北”というのだろう。頭でっかちの
ヤローどもの机上の空論が空中分解しただけのことなの
だろう。
人間の脳みそが物事を判断する処方箋は二つに一つで、
あれとこれは同じ、もしくはあれとこれは異なる。
どんなに複雑に、あるいは高度になったように見えても、
その実は単純そのものでもある。そんな単純さを弁えてい
ないと全てを見失う。
それにしても、世の中の何もかもを、あれとこれは同じ、
で割り切られたらたまったもんじゃない。車の免許の筆
記試験も確か四択くらいなのに、、二択が罷り通るとは
・・・。
君はいい人間か悪い人間か、と訊かれて、分からないと
答えたら多分いい人間だ。いい人間だと答えたら眉唾と
思ってよい。単純な問題だ。
戦争をすれば得をする人間たちがいる。因縁をつけるのに
二択ほど便利なものはないし。右か左か、正義か邪悪
か、敵か味方か。道は真っ直ぐで、邪魔になる枝葉は刈
り取る。
だから水野和夫さんは、これからは芸術の時代だという。
芸術とは、あれとこれは異なる、を限りなく尊重し探求す
るものだからだ。道は曲がりくねっていて、枝葉は手で避
けながら歩む。だからワクワクし、精神が活性化する。
ジェット旅客機があっという間に地球を一周し、宇宙を人
工衛星が飛び交ったくらいで、世界がわかったつもりにな
るなんて、トンデモナイ話なのだ。人間一個の心の中身も
何一つわかっていないくせにだ。
人間の体は37兆もの細胞で成り立っている。その37兆の細
胞の一つ一つが考え感じながら生きている。今の時代は細
胞さんにとっては受難の時代といったところだろう。今ま
で見たこともないブラックな環境と戦い続けなければなら
ない。休む暇もないくらいにだ。なぜって、ばい菌だらけ
だからだ。学校も家庭も社会も。
さてそれでは、イデオロギーが敗北した後には何がやって
くるのか?少なくとも世の中の重石がなくなるので、人間ら
しい暮らしが蘇るのかもしれない。働かされるのではなく、
働きたいから働く。学ばされるのではなく、学びたいから
学ぶ。誰がなんと言おうと知ったこっちゃない。それが私た
ちの本来の姿なのだと思う。ピケテイのいう”参加型資本主
義”でもないように思う。なぜなら金利がゼロになれば、資
本自体が消えてなくなるからだ。資本が成り立たなくなった
時私たちの暮らしがどういうナラティヴ(物語)を紡ぎ始め
るのかという点に思いを馳せるべきなのだと思う。






  


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インフラ崩壊

2024年12月27日



テキストの画像のようです

インフラ崩壊


「インフラ」というのは、経済成長につれて「ライフライ
ン」の意味合いが拡張されたものである。つまり経済成長
のためのライフラインであって、文字通りの意味(生命生
存の保持)のライフラインではない。この狭義のライフラ
インは経済成長によってむしろ脅かされ続けてきた。
土、水、森、そして綺麗な空気。
ドイツのインフラ崩壊は、インフラからライフラインへと、
ということなのかも。
「より遠く、より速く、より合理的に」から
「より近く、よりゆっくり、より寛容に」へ。
時代はそちらの方向へ急速に移行しつつある。まず身の回り
から、明日より今日。
日本という国は文明開花まで営々と高度なライフラインを築
いてきた。森と水と土の三位一体のエコシステム。だから敗
戦の焦土から立ち上がることができた。国破れて山河あり、
である。民は国と共にあるのではなく、山河と共にある、
そのことを今まさに私たちは思い知らされようとしているの
かもしれない。




  


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来るべき未来へ

2024年12月24日




表情から現在の環境や来るべき未来が見える?【改訂版 基礎からわかる 人相学の完全独習】 | antenna[アンテナ]

来るべき未来へ




<エマニュエル・トッドは経済が大嫌い>
エマニュエル・トッドというフランスの人口学者は経済
学者(経済)が嫌いだとか。その気持ちはよくわかる
ような気がします。なぜかというと、経済はともすれば
人を劣化させるからです。思いやりがなくなり、即物的
になり、闘争的になり、この世が物欲に囚われた人間た
ちの巣窟になります。
そもそもが、経済が発展する元となったイノベーション
(技術革新)は戦争がもたらしたものですし、経済の拡
大は自己目的化し、その結果国家が有形無形に国民を管
理するようになります。
経済の発展のために有用であるかどうかが、あなたとい
う人間の存在の意味になります。ですが、人間はお金を
稼ぐためだけに働くわけではありません。まして誰かを
儲けさせるためでもありません。それは自己実現のため
の行為でもあり、社会のためになるから、人々に喜んで
もらえるから、でもあるでしょう。
金融緩和政策で大量に流出した貨幣はGDP(国民総生産)
を上げるためであり、GDI(国民総所得)を上げるためで
はありません。おかげで?中間所得者層が崩壊し、低所
得者層ばかりが膨れ上がりました。つまり、経済の成長
が国民の生活レベルを改善したのはもう昔の話で、今で
は一握りのセレブと学歴エリートのためだけのものにな
りました。自由と民主主義は中身のないイデオロギーと
なり、それどころか自由と民主主義を唱えれば唱えるほど
自由と民主主義から遠ざかる寡頭制の自由民主主義を強化
していくだけになります。
それから特筆すべきは家族の形態を変えてしまうことでし
ょう。その家族の構造には三つの種類があります。
①核家族・・・・二世代家族
②直系家族・・・三世代以上の長子相続の家族
③(外婚制)共同体家族・・・三世代以上の均等相続家
              族その他
経済が発展するにつれ、②や③が①の核家族に変わってい
きます。核家族は社会の急激な変化に適応しやすいからで
す。同時に経済的な要請に応じて分裂していった家族の形
態であるともいえるでしょう。
そこで問題になるのは、、、、核家族社会になると知的水準が
低下することです。典型的な核家族社会国家である米国に
おいては(核家族も崩壊しつつありますが)そのために良
質で勤勉な労働者がいなくなりました。
日本でもかなりその傾向が見られるような気がします。
では知的水準とは一体どういうことなのでしょう?というの
も、私には高学歴の人たちが文句なしに知的に優れていると
はどうしても思えないのです。どうも知識ばかりが空回りし
ているようにみえます。
知識というのは後付けの理屈に過ぎなくて、ハートという核
がなくなればあてどなく空回りするだけの、吹けば飛ぶよう
なデータの欠片にすぎなくなります。
<ウクライナのねじれ>
エマニュエル・トッドは”ウクライナ”にも言及しています。
①”ウクライナ”の実態はアメリカとロシアの戦いである。
②”ウクライナ”はアメリカを中心とする寡頭制(セレブ&学
歴エリート)の、寡頭制による、寡頭制のためのグローバル
経済と自由民主主義に対する一種のレジスタンスともいえる。
③”ウクライナ”について、アメリカはNATOをロシアの脅威
から守るためと言っているが、そのNATO自体が欧州をアメリ
カが支配するためというねじれがある。
ということで図式的にいえば、、、、、
”ウクライナ”とは文明と文化の対立という歴史的な意味合いを
はらんでいるのだと個人的には思っています。東西冷戦構造は
イデオロギーの対立でしたが、これは頭でっかちの時代の局面
が生み出したものです。それに比べると”ウクライナ”は文明と
文化のせめぎ合いという、人類の存続に関わるような根源的な
問題なのでしょう。
なぜならこのままではバブルと化したドルの洪水の中で世界が
埋没しそうになっているからです。
フロンティア競争(侵略)は、未開人を”文明化”するという建
前で行われました。文明は昔からある地方文化をアンシャン
レジーム(旧体制)と位置づけ、崩壊させ、国家中枢の末端に
することで発達してきました。南米のインカ(文明?)など
は戦争や収奪という観念自体おそろしく希薄だったので、一
隻の帆船の銃を持った乗組員(海賊)によってあっという間に
滅ぼされました。
文明と文化という語彙はよく使う割に、区別がつかない人が多
いようです。
”文化”というのは、或る種族が、与えられた環境の中で、存続
できる農と食の体系を作ることができた社会の伝統的様式のこ
とをいいます。しかし軍事力を背景にした欧州の資本主義国家
の建前では、文明に目覚めていない愚民ということでしかあり
ませんでした。
フランス革命では1792年ヴァンデ戦争という大規模な民衆
の蜂起がありました。
(フランスの歴史上触れられたくない汚点です)
これは革命政府が今までの王制より、過酷で抑圧的であり、
何より中央集権と、それから徴兵制と戦争を強制することに
反対したのです。革命軍はこの数十万の住民をみな殺しにしま
した。その戦争(内乱)がそのまま歌にされたのがフランス国
歌”ラ・マルセイーズ”です。
文明はそのような歴史的経緯を有しており、
文明=Civilizasionの語源は古代ギリシャのCityが由来の近代か
らの造語(nationもしかり)にほかなりません。
他方、Culture(Kulture)は古代からあり、それぞれの地方の”生
存の条件”のような意味合いを持っています。だから、本来の
文明の意味は都市化なのです。
<家族の欠落>
そもそも家族とは何のために生まれたのでしょうか?
子どもを育てるためにです。世の中がどんなに変わろうとで
す。今日という日を明日という日に繋げていける子どもたち
を育てるためにです。そしてそれは知識によってではなく、
心によって、愛情によってなのだと思います。子どもにいく
ら知識を叩き込んでも賢くはなりません。大切なのは子ども
に愛情をもって接することです。
そんな愛情の原点は家族にあります。国は学校というシステ
ムで知識を与えることはできても愛情を与えることはできま
せん。愛情をいっぱい注がれて育った人は人の手を借りずと
も自分の力で放っておいても大きく育っていけます。愛情と
は土壌のようなもので、そこが豊穣であれば縦横に根を張り
巡らし、やがては大樹となり多くの恵みをもたらすのだと思
います。
もちろん核家族にも愛情はあるのでしょうが、時折か細い蜘
蛛の糸のように思うこともないではありません。離婚率が急
増し、二組に一組だとか。出生率も低くなる一方ですし、未
婚者は増える一方です。老人の孤独死などという問題だって
あります。
その一方では教育熱心な親が増えています。これは子育ては
学校にお任せということなのかもしれません。でも学校はあ
くまで学校でしかなく、家族の代わりにはなりません。日常
にゆとりのない核家族はともすればそういう落とし穴に嵌ま
りがちのような気がします。
せっかく知識を身につけても自在に使いこなせなければ何の
意味もありません。お粗末な事典のようなもので、賢さとは
別のものでしょう。一の知識を自分の中で十にも百にも育む
ことができる人が本当の意味で賢い人なのだと思います。
せっかく十の知識を得てもそれでお終いの人と、一の知識を
百にも千にもできる人とでは歳を重ねれば重ねるほど大きな
差が出てきます。そんな人が刻んでいく歴史だけが人類の進歩
と言うのだと思います。
<不均衡=非対称性の終わり>
「民」とは何か?国が何かを考えることは民のことを考える
ことでしょう。しかしそれではただの言葉に過ぎず、民の中
のたった一人を考えるべきなのです。その民と呼ばれるもの
の数だけいるのが民に他なりません。
カナダの先住民は必要なだけサケを採って長い間暮らしてき
ましたが、開拓者が商業ベースで乱獲し、あっという間にサ
ケがいなくなりました。
近代の市場経済も”サケ”を乱獲し、あっという間に”サケ”が
なくなりつつあります。経済成長とは”サケ”の乱獲に他なら
なかったのです。
「より遠く、より速く、より合理的に」
、、になればなるほど、見た目とは裏腹に世界は荒廃していき
ました。人の心と頭が薄っぺらになっていきました。そして
「民」がいなくなりました。それが世紀末と言われる現代な
のでしょう。これからは逆に、
「より近く、よりゆっくり、より寛容に」
の時代に移行していかざるをえません。そのためにはまず、没
落しつつある家族を再建することが必要になってくると思いま
す。持続性ある社会などといっても今のままでは到底無理な話
です。社会の細胞である家族の一々が活性化することが絶対条
件です。
国とはカタチではありませんし、社会とは言葉ではありません。
一人一人が家族を、友人を、生まれ育った町や村を大切に思う
ときはじめて国も社会も中身を持つことができるのだと思いま
す。そのとき初めて文化的な世の中となるのでしょう。
結婚して家庭を営むことが難しくなっています。また結婚して
家庭を持ったとしても持続することが難しくなっています。
家庭とは土壌のようなもので、そこにしか文化という花は咲く
ことはできません。コンクリートの上に花開いているのは造花
という命のない見せかけの花びらです。それが今私たちが暮ら
している世の中のように思われます。
造花は燃やしてしまえばそれまでですが、生きている花は燃や
しても燃やしても芽生え、綺麗な花びらを咲かせます。
二十一世紀はあのNYツインタワーの崩落で始まりました。あれ
をみて、中沢新一は叫びました。
「圧倒的な非対称性だ!」と。
私たちはずっと不均衡(非対称)の時代を生きてきました。
交換による自由な経済取引は絶え間ない搾取を生み出し、搾取
は世界に不均衡をもたらし、やがて市場は崩壊します。
交換は家族の中にも入り込み、モラルハザードとなり、周縁に
広がっていきました。・・・・愛情の希薄な世界。
コレコレのことをしてやったのに・・・という愚痴が出るよう
では愛情とは言えません。愛情の本質とは見返りを求めない
温かい広い心から滲み出てくる(双方の)喜びです。不均衡
(非対称)でない世の中はそんな喜びで満たされているので
いつまでも続くことができますし、どんな苦難も乗り越える
ことができます。二十一世紀はそういう不均衡から均衡の時
代への大きな転換点になるよう気がします。
エジプト文明もメソポタミヤ文明も乳垂れ、緑滴るる豊かな
自然に恵まれていたから栄えたのですが、文明のために草木
も生えない不毛の砂漠と化しました。近代文明もこのままで
は同じ轍を踏むことになるでしょう。そうならないために私
たち一人ができることを三思四考する時がきているのではな
いでしょうか?
  


Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 16:05
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鬼は内福は外 、じゃなかった、鬼は外福は内

2024年09月06日

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鬼は内、福は外
・・・じゃなかった、鬼は外、福は内






おカネが紙切れになる日・・・
なんていっても多分誰もピンとこないんだろうなあ。
なにしろもう信仰(一神教)みたいなもんで、おカネ
が紙切れになるってのは、神様が消えてなくなるって
ことで、世界の終わりにも見えるんだろう。自分の国
を神国といって目の色を変えてた時代に似ていなくも
ない。
それでも、神様はいなくなる。神国がなくなったよう
に。信じようが信じまいがそんなの知ったこっちゃな
いし、残念ながら世界は終わらない。それどころか・
・・・・。
今まで資本が生産拡大を牽引してきた。ところがその肝
心の生産の方が頭打ちになってきた。資本というおカネ
がいくらあっても使い道がなくなってきたってわけ。
アメリカがドルを刷りまくってるから、曖昧模糊然とな
ってるけど。金融資本主義っていうのはだからマネーが
神様じゃなくてドルが神様になってるっていうことなの
かな?
その原因の一は、、、、
今までタダ同然だった天然資源のコストが上昇してきて、
利潤を圧迫し、それをカバーするために物価が高騰する。
物価が高騰していけば、その分おカネは紙切れに近づいて
いく。今までの景気変動の類とはまるっきり違う。
原因の二は、、、、
市場が限界に達して、投資しようにも投資の対象がな
くなってきた。地理上の最後のフロンテイア(未開拓)
がアフリカ大陸で、インフラの最後のフロンテイアがシ
ャワートイレ。
投資の見返り利益が先細りになり、投資すれば損失が出
るようになり、そうなると金利はプラスからゼロ、そし
てマイナス、になっていく。おカネは金利で増殖していく
からおカネたりうるのでしかなく、そうでなくなれば紙
切れになる。
では、おカネが紙切れになるとどうなるかというと、、、、、
第一に、お金持ちがこの世から消えてなくなる。
第二に、日銀も金融機関も営利企業も無用の長物になる。
第三に、利益が出ないなら人を雇っても仕方がないから、
サラリーマンがいなくなる。
第四に、商品や人の長距離かつ高速の移動の必要性がなく
なる。
第五に、都会では生きていけないから人口が分散する。
・・・他にもなんかあるかなあ?あるにしてもそんなに不
都合なことばかりじゃないだろう。
そうなれば、一時的には大混乱になるだろうが、インフラ
が出来上がっている限りは案ずるより生むが易し、だろう。
人間なんて贅沢しなくても、そこそこ食べるものがあり、
寝るところがあり、着るものがありさえすれば、どうにか
なるけど、このままいけばそれすら怪しくなるし、現にス
ラムは増加の一途だし、日本ではホームレスさんが増えて
いる(スラムのお為ごかしの犠牲)。明日は我が身かもし
れない。
おカネ?日本銀行券がなくなるだけで、交換媒体としての
通貨はあちこちで生まれるから心配ご無用。
貧乏人にはその辺の理屈がようくわかるので、いざとなっ
ても慌てず騒がず生きていけるが、贅沢にとっぷり浸かっ
ている人たちは大変だろうけど、人の情けが身にしみる絶
好の機会になるかも。
社会状況が一変するだけで、お天道様がなくなるでも、水
や空気がなくなるわけじゃない。むしろこのままの状況が
続くと私たちの生存そのものが危うくなる。
まあ、そうなってくると男性は頼りにならないだろう。一本
調子で適応能力に乏しいから。女性はその点逞しい。スカー
レット・オハラ予備軍みたい。
明日は明日の風が吹く。そうだ、全てを無くしても土地があ
る、土地がある限り私は生きていける。
タラ、タラ、タラ・・・・・・・
私には”タラ”(ふるさと)がある。
男性は計れるところはよく見るが、計れぬところとなると見
ようとしない。それじゃあ、路頭に迷っても仕方がない。
男面(ヅラ)は鬼のお面で、女面は福の神のお面。



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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 12:24
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