2024年12月24日

来るべき未来へ




表情から現在の環境や来るべき未来が見える?【改訂版 基礎からわかる 人相学の完全独習】 | antenna[アンテナ]

来るべき未来へ




<エマニュエル・トッドは経済が大嫌い>
エマニュエル・トッドというフランスの人口学者は経済
学者(経済)が嫌いだとか。その気持ちはよくわかる
ような気がします。なぜかというと、経済はともすれば
人を劣化させるからです。思いやりがなくなり、即物的
になり、闘争的になり、この世が物欲に囚われた人間た
ちの巣窟になります。
そもそもが、経済が発展する元となったイノベーション
(技術革新)は戦争がもたらしたものですし、経済の拡
大は自己目的化し、その結果国家が有形無形に国民を管
理するようになります。
経済の発展のために有用であるかどうかが、あなたとい
う人間の存在の意味になります。ですが、人間はお金を
稼ぐためだけに働くわけではありません。まして誰かを
儲けさせるためでもありません。それは自己実現のため
の行為でもあり、社会のためになるから、人々に喜んで
もらえるから、でもあるでしょう。
金融緩和政策で大量に流出した貨幣はGDP(国民総生産)
を上げるためであり、GDI(国民総所得)を上げるためで
はありません。おかげで?中間所得者層が崩壊し、低所
得者層ばかりが膨れ上がりました。つまり、経済の成長
が国民の生活レベルを改善したのはもう昔の話で、今で
は一握りのセレブと学歴エリートのためだけのものにな
りました。自由と民主主義は中身のないイデオロギーと
なり、それどころか自由と民主主義を唱えれば唱えるほど
自由と民主主義から遠ざかる寡頭制の自由民主主義を強化
していくだけになります。
それから特筆すべきは家族の形態を変えてしまうことでし
ょう。その家族の構造には三つの種類があります。
①核家族・・・・二世代家族
②直系家族・・・三世代以上の長子相続の家族
③(外婚制)共同体家族・・・三世代以上の均等相続家
              族その他
経済が発展するにつれ、②や③が①の核家族に変わってい
きます。核家族は社会の急激な変化に適応しやすいからで
す。同時に経済的な要請に応じて分裂していった家族の形
態であるともいえるでしょう。
そこで問題になるのは、、、、核家族社会になると知的水準が
低下することです。典型的な核家族社会国家である米国に
おいては(核家族も崩壊しつつありますが)そのために良
質で勤勉な労働者がいなくなりました。
日本でもかなりその傾向が見られるような気がします。
では知的水準とは一体どういうことなのでしょう?というの
も、私には高学歴の人たちが文句なしに知的に優れていると
はどうしても思えないのです。どうも知識ばかりが空回りし
ているようにみえます。
知識というのは後付けの理屈に過ぎなくて、ハートという核
がなくなればあてどなく空回りするだけの、吹けば飛ぶよう
なデータの欠片にすぎなくなります。
<ウクライナのねじれ>
エマニュエル・トッドは”ウクライナ”にも言及しています。
①”ウクライナ”の実態はアメリカとロシアの戦いである。
②”ウクライナ”はアメリカを中心とする寡頭制(セレブ&学
歴エリート)の、寡頭制による、寡頭制のためのグローバル
経済と自由民主主義に対する一種のレジスタンスともいえる。
③”ウクライナ”について、アメリカはNATOをロシアの脅威
から守るためと言っているが、そのNATO自体が欧州をアメリ
カが支配するためというねじれがある。
ということで図式的にいえば、、、、、
”ウクライナ”とは文明と文化の対立という歴史的な意味合いを
はらんでいるのだと個人的には思っています。東西冷戦構造は
イデオロギーの対立でしたが、これは頭でっかちの時代の局面
が生み出したものです。それに比べると”ウクライナ”は文明と
文化のせめぎ合いという、人類の存続に関わるような根源的な
問題なのでしょう。
なぜならこのままではバブルと化したドルの洪水の中で世界が
埋没しそうになっているからです。
フロンティア競争(侵略)は、未開人を”文明化”するという建
前で行われました。文明は昔からある地方文化をアンシャン
レジーム(旧体制)と位置づけ、崩壊させ、国家中枢の末端に
することで発達してきました。南米のインカ(文明?)など
は戦争や収奪という観念自体おそろしく希薄だったので、一
隻の帆船の銃を持った乗組員(海賊)によってあっという間に
滅ぼされました。
文明と文化という語彙はよく使う割に、区別がつかない人が多
いようです。
”文化”というのは、或る種族が、与えられた環境の中で、存続
できる農と食の体系を作ることができた社会の伝統的様式のこ
とをいいます。しかし軍事力を背景にした欧州の資本主義国家
の建前では、文明に目覚めていない愚民ということでしかあり
ませんでした。
フランス革命では1792年ヴァンデ戦争という大規模な民衆
の蜂起がありました。
(フランスの歴史上触れられたくない汚点です)
これは革命政府が今までの王制より、過酷で抑圧的であり、
何より中央集権と、それから徴兵制と戦争を強制することに
反対したのです。革命軍はこの数十万の住民をみな殺しにしま
した。その戦争(内乱)がそのまま歌にされたのがフランス国
歌”ラ・マルセイーズ”です。
文明はそのような歴史的経緯を有しており、
文明=Civilizasionの語源は古代ギリシャのCityが由来の近代か
らの造語(nationもしかり)にほかなりません。
他方、Culture(Kulture)は古代からあり、それぞれの地方の”生
存の条件”のような意味合いを持っています。だから、本来の
文明の意味は都市化なのです。
<家族の欠落>
そもそも家族とは何のために生まれたのでしょうか?
子どもを育てるためにです。世の中がどんなに変わろうとで
す。今日という日を明日という日に繋げていける子どもたち
を育てるためにです。そしてそれは知識によってではなく、
心によって、愛情によってなのだと思います。子どもにいく
ら知識を叩き込んでも賢くはなりません。大切なのは子ども
に愛情をもって接することです。
そんな愛情の原点は家族にあります。国は学校というシステ
ムで知識を与えることはできても愛情を与えることはできま
せん。愛情をいっぱい注がれて育った人は人の手を借りずと
も自分の力で放っておいても大きく育っていけます。愛情と
は土壌のようなもので、そこが豊穣であれば縦横に根を張り
巡らし、やがては大樹となり多くの恵みをもたらすのだと思
います。
もちろん核家族にも愛情はあるのでしょうが、時折か細い蜘
蛛の糸のように思うこともないではありません。離婚率が急
増し、二組に一組だとか。出生率も低くなる一方ですし、未
婚者は増える一方です。老人の孤独死などという問題だって
あります。
その一方では教育熱心な親が増えています。これは子育ては
学校にお任せということなのかもしれません。でも学校はあ
くまで学校でしかなく、家族の代わりにはなりません。日常
にゆとりのない核家族はともすればそういう落とし穴に嵌ま
りがちのような気がします。
せっかく知識を身につけても自在に使いこなせなければ何の
意味もありません。お粗末な事典のようなもので、賢さとは
別のものでしょう。一の知識を自分の中で十にも百にも育む
ことができる人が本当の意味で賢い人なのだと思います。
せっかく十の知識を得てもそれでお終いの人と、一の知識を
百にも千にもできる人とでは歳を重ねれば重ねるほど大きな
差が出てきます。そんな人が刻んでいく歴史だけが人類の進歩
と言うのだと思います。
<不均衡=非対称性の終わり>
「民」とは何か?国が何かを考えることは民のことを考える
ことでしょう。しかしそれではただの言葉に過ぎず、民の中
のたった一人を考えるべきなのです。その民と呼ばれるもの
の数だけいるのが民に他なりません。
カナダの先住民は必要なだけサケを採って長い間暮らしてき
ましたが、開拓者が商業ベースで乱獲し、あっという間にサ
ケがいなくなりました。
近代の市場経済も”サケ”を乱獲し、あっという間に”サケ”が
なくなりつつあります。経済成長とは”サケ”の乱獲に他なら
なかったのです。
「より遠く、より速く、より合理的に」
、、になればなるほど、見た目とは裏腹に世界は荒廃していき
ました。人の心と頭が薄っぺらになっていきました。そして
「民」がいなくなりました。それが世紀末と言われる現代な
のでしょう。これからは逆に、
「より近く、よりゆっくり、より寛容に」
の時代に移行していかざるをえません。そのためにはまず、没
落しつつある家族を再建することが必要になってくると思いま
す。持続性ある社会などといっても今のままでは到底無理な話
です。社会の細胞である家族の一々が活性化することが絶対条
件です。
国とはカタチではありませんし、社会とは言葉ではありません。
一人一人が家族を、友人を、生まれ育った町や村を大切に思う
ときはじめて国も社会も中身を持つことができるのだと思いま
す。そのとき初めて文化的な世の中となるのでしょう。
結婚して家庭を営むことが難しくなっています。また結婚して
家庭を持ったとしても持続することが難しくなっています。
家庭とは土壌のようなもので、そこにしか文化という花は咲く
ことはできません。コンクリートの上に花開いているのは造花
という命のない見せかけの花びらです。それが今私たちが暮ら
している世の中のように思われます。
造花は燃やしてしまえばそれまでですが、生きている花は燃や
しても燃やしても芽生え、綺麗な花びらを咲かせます。
二十一世紀はあのNYツインタワーの崩落で始まりました。あれ
をみて、中沢新一は叫びました。
「圧倒的な非対称性だ!」と。
私たちはずっと不均衡(非対称)の時代を生きてきました。
交換による自由な経済取引は絶え間ない搾取を生み出し、搾取
は世界に不均衡をもたらし、やがて市場は崩壊します。
交換は家族の中にも入り込み、モラルハザードとなり、周縁に
広がっていきました。・・・・愛情の希薄な世界。
コレコレのことをしてやったのに・・・という愚痴が出るよう
では愛情とは言えません。愛情の本質とは見返りを求めない
温かい広い心から滲み出てくる(双方の)喜びです。不均衡
(非対称)でない世の中はそんな喜びで満たされているので
いつまでも続くことができますし、どんな苦難も乗り越える
ことができます。二十一世紀はそういう不均衡から均衡の時
代への大きな転換点になるよう気がします。
エジプト文明もメソポタミヤ文明も乳垂れ、緑滴るる豊かな
自然に恵まれていたから栄えたのですが、文明のために草木
も生えない不毛の砂漠と化しました。近代文明もこのままで
は同じ轍を踏むことになるでしょう。そうならないために私
たち一人ができることを三思四考する時がきているのではな
いでしょうか?



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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 16:05│Comments(0)社会問題
 
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