2023年08月09日
将を射んとすれば・・・

将を射んとすれば・・・
「将を射んとすれば、まず馬を射よ」
とは、、、
「精神を射んとすれば、まず身体を射よ」
ということ。
馬車馬のように働かせて身動きできないようにする。
給料をやりすぎると働かなくなるし、余計なことを
考えるから、ほどほどにする。
そうやって、世の中は大過(対価)なく動いてきた訳
ですね。
まあ他にもあの手この手があるのですが、もしも私た
ちがこういう世の中の軛から自由になったら、多分世界
は私たちが知っているものとは全く別のものになる無限
の可能性に満たされているはずです。
これはSFの多元的宇宙論というものに通じている考え方
ですが、どうやらそのSFチックなものがSFチックでなく
なりつつあるのが二十一世紀という時代であるのかなと
僕は一人で思っています。
フーコーという人はそれまでの歴史家が決して立てなかっ
た問いを発しました。それは、、、
「これらの出来事はどのように語られてきたか?でなく、
これらの出来事はどのように語られずにきたか」
ということです。
つまりこれまで語られずにきたことを語らずには済まなく
なったのが二十一世紀という時代に他ならないから、と
僕は考える訳です。
持続可能性のある社会の構築などと尤もらしく言われてい
ますが、その実は、今の社会そのものに持続可能性がなく
なっているという逆説に気づかないふりをしているだけで
す。
でも、そうそういつまでも気づかないふりばかりもしてお
れません。世の中甘くないよ、と言われてきた人たちが今
度はそっくりそのまま言い返す時です。
規模の利益とか資本の利益とか、今までプラスだったもの
がマイナスに働き始めました。そんなものに胡座をかいて
いると大変なことになると企業そのものが思い始めました。
資本収益力が企業収益力を上回り、モノやサービスが飽和
状態になっている限り、もう姑息な真似は効かないのです。
最近では企業エリートや政治家たちが間抜けな馬ヅラに見
えて仕方がありません、いや正直なところ。