2023年09月16日

耳クソ資本主義

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子供、テキストの落書きのようです


耳クソ資本主義




私たちが学校なるところ(むろん大学も含めて)で学ん
できたものとは、、、”教科書”。
では、”教科書”とは何であるかというと、
教科書的であるということであり、つまり理念だった。
どんなに優れた教授といえども、あくまでも理念のプロフ
ェッショナルにすぎない。
理念は現実から抽出されたエッセンスかもしれないが、
現実がひどく流動的になったとき、それは現実から乖離し
てしまう。
そういう陥穽があることに逸早く気づいた、目覚めた人
が本当の意味で知恵ある人だろう。
現実は時とともに絶え間なく変わっていくし、また生活
空間によっても変わるし、また人それぞれでもある。
したがって本当に有用な人間の知恵というのは絶え間な
い迷いと試行錯誤の中にあるのだろう。
経済はいかに頭に新という形容詞がついても、実際はア
ダム・スミスの古典派経済学から一歩も出ていない。
あの『見えざる手』というやつである。一見混沌とした
市場価格が、神の見えざる手によって自然価格(均衡価
格)の方へ導かれる。
まあ、生産に要する費用(報酬)が正常に支払われている
場合はそうだろうが、今の今までそんな正当な報酬を受け
取った人なんてどれだけいただろうか?
ほんの一握りの人間が莫大な報酬を得、ほとんどの人たち
は耳クソ程度、というのが偽らざる”現実”である。
資本主義は資本の蓄積のために利潤を必要とするというの
はわからないでもないが、そんな資本の蓄積が無際限に続
いていく限り、不当に少ない報酬を受け取る人はねずみ算
的に増えていく。
そしてそういう”現実”には知らん顔をしていない限り、資
本主義は行き詰まらざるを得ない。
もちろんこれほど不合理な話はないから、二十一世紀にな
って歴史の終わりが囁かれているというわけなのだろう。
しかしそれは誰にとっての歴史の終わりなのか?少なくと
も耳クソにとっての終わりではない。だから耳クソの一人と
しての僕は安心してあの世に行けるようが気がするのだ。
うん、耳クソを掃除したらホントのことがよく聞こえるよう
になるかも。




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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 08:15│Comments(0)社会問題アカデミー
 
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