2023年10月04日
分配から配分へ (二十一世紀の経済)

分配から配分へ
(二十一世紀の経済)
経済には二つの形、というか方向性しかない。
一は、分け前の分捕り合い。
二は、助け合いと分け合い。
産業革命以前のヨーロッパが貧しかったのは、分け前の奪
い合いが未熟だったからではなくて、助け合いの文化がな
かったからだった。
産業革命とは、貨幣による生産と流通の革命であり、それ
を核とした分け前の分捕り合戦の画期的な変革だった。
しかし、分け前の奪い合いの経済はどんなに成熟しても、
肝心の奪い合うパイがなくなったらお終い。そしてパイは
必ずなくなる。なぜならパイの量は無限ではないからだ。
そんな簡単な理屈に今更ながら気づいて慌てふためき出し
たのが歴史の終わりといわれる二十一世紀という時代なの
だろう。
ヨーロッパの人々は遅まきながらでも、その事実を受け入
れ出したような気がする。(受け入れざるを得ないから)
しかし、日本人とアメリカ人は・・・・?
下図は社会的弱者(貧困)に対する各国の国民の意識調査
の結果である。この意識の有り様の当然の帰結として、、、
日本とアメリカでは社会的弱者の数が年々うなぎのぼりに
なっている。もっと増えるだろう。その最果てがどうなる
かなんて考えるまでもないだろう。
アメリカドルの場合はシニョリッジ(貨幣発行特権)の影
響が考えられるが、日本の場合は、、、、??
いずれにしても、二十一世紀とは第二の産業革命、すなわ
ち分け前の奪い合い(富の分配)の経済から助け合い分け
合う(富の配分)経済へシフトしていく節目の時代であり、
また絶好の機会でもあるのだろう。
高金利の時代には、富は海の向こう、つまり遠くにいくら
でも?あったのだが、パイの量が尽きて金利ゼロの時代が
来ると、逆に富は海の向こうの遠くにではなく、近くにし
かない。目の前の限られたパイを上手に切り分けるしか
ない。
限られた富を運用するには、できるだけ早く、より遠くへ、
ではなく、できるだけゆっくり、より近くでの方がいい。
そうなると、経済的効率や合理性で考えると立ち行かなく
なる。何らかの自制心が必要になってくる。つまりモラル
がなくてはならないものになる。
では、モラルとは何であるかというと、人間がつくり上げ
た秩序を正しい方向に是正していく力である。
その正しい方向が”分配”から”配分”へと劇的に変わりつつあ
るということなのだろう。より多くの富をなりふり構わずで
なく、限られた富をお行儀良く、ということである。
(”分配”は単に分けて配ることで、”配分”は割合を考慮して
配ること)
もうこのようなモラル抜きでは、二十一世紀経済の歯車は微
動だにしなくなりつつあるのような気がするのである。
(二十一世紀の経済)
経済には二つの形、というか方向性しかない。
一は、分け前の分捕り合い。
二は、助け合いと分け合い。
産業革命以前のヨーロッパが貧しかったのは、分け前の奪
い合いが未熟だったからではなくて、助け合いの文化がな
かったからだった。
産業革命とは、貨幣による生産と流通の革命であり、それ
を核とした分け前の分捕り合戦の画期的な変革だった。
しかし、分け前の奪い合いの経済はどんなに成熟しても、
肝心の奪い合うパイがなくなったらお終い。そしてパイは
必ずなくなる。なぜならパイの量は無限ではないからだ。
そんな簡単な理屈に今更ながら気づいて慌てふためき出し
たのが歴史の終わりといわれる二十一世紀という時代なの
だろう。
ヨーロッパの人々は遅まきながらでも、その事実を受け入
れ出したような気がする。(受け入れざるを得ないから)
しかし、日本人とアメリカ人は・・・・?
下図は社会的弱者(貧困)に対する各国の国民の意識調査
の結果である。この意識の有り様の当然の帰結として、、、
日本とアメリカでは社会的弱者の数が年々うなぎのぼりに
なっている。もっと増えるだろう。その最果てがどうなる
かなんて考えるまでもないだろう。
アメリカドルの場合はシニョリッジ(貨幣発行特権)の影
響が考えられるが、日本の場合は、、、、??
いずれにしても、二十一世紀とは第二の産業革命、すなわ
ち分け前の奪い合い(富の分配)の経済から助け合い分け
合う(富の配分)経済へシフトしていく節目の時代であり、
また絶好の機会でもあるのだろう。
高金利の時代には、富は海の向こう、つまり遠くにいくら
でも?あったのだが、パイの量が尽きて金利ゼロの時代が
来ると、逆に富は海の向こうの遠くにではなく、近くにし
かない。目の前の限られたパイを上手に切り分けるしか
ない。
限られた富を運用するには、できるだけ早く、より遠くへ、
ではなく、できるだけゆっくり、より近くでの方がいい。
そうなると、経済的効率や合理性で考えると立ち行かなく
なる。何らかの自制心が必要になってくる。つまりモラル
がなくてはならないものになる。
では、モラルとは何であるかというと、人間がつくり上げ
た秩序を正しい方向に是正していく力である。
その正しい方向が”分配”から”配分”へと劇的に変わりつつあ
るということなのだろう。より多くの富をなりふり構わずで
なく、限られた富をお行儀良く、ということである。
(”分配”は単に分けて配ることで、”配分”は割合を考慮して
配ること)
もうこのようなモラル抜きでは、二十一世紀経済の歯車は微
動だにしなくなりつつあるのような気がするのである。