2024年01月20日

逆説の時代





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逆説の時代




そもそも既成の経済学では今起きているスタグフレーショ
ンがどうすれば収束するかどころか、どういう原因で起き
てるかさえ碌に説明できません。
給与が下がり、失業者が増えるのに、物価は上がる、とい
う悪循環のどこをどう抑えれば止められるのか、全くといっ
ていいくらい処方箋が見つからないというのが現状です。
なぜなのでしょう?それは当然ながら今の経済学、いや
経済のあり方には根本的な欠陥があるからです。にもかか
わらず、現代経済学の大前提になっている諸々を人々は決
して疑うということを知らないか、知らんふりをしている
のです。
目の前に分厚い壁が立ち塞がっているのに、前に進め(発
展)ばかりでは話にならないのに、ナントカの一つ覚えみ
たいになっているようです。
そもそも、その分厚い壁とは何なのでしょうか?そういう
問いを発するべき時が来ています。
その分厚い壁とは自分(あなた)自身に他ならないのだと
思うのです。ですから自分(あなた)自身を変えれば嘘の
ように消えてなくなるし、変えない限り消えてなくならな
いのだと思います。もしどうしても進歩という言葉を使い
たいのなら、そういう場面にこそ取っておくべきなのでし
ょう。
順境についてはいくらでも語れるが、逆境となるとみんな
口をつぐんでしまいます。右往左往するばかりで思考停止に
なってしまいます。ですから怖いのはスタグフレーション
ではなく、そういう条件反射ではないかというのが僕の偽
らざる感想です。
これは経済に限らず今の社会生活の全般においていえます。
たとえば家庭においてもです。親が会社をクビになった、倒
産した、子どもが非行化した、閉じこもりになった、落ちこ
ぼれた、、、その度に途方にくれるばかりで、悪い方に悪い
方に突っ走ってしまう。そして結局は、取り返しのつかない
ハメに自ら陥ってしまいます。なぜなのでしょうか?
それは多分、一人一人が自分のことしか考えていないとそう
なっていくということなのだと思います。エゴで成り立って
いる人間の集合体はそういうことにとても脆いのです。
うまくいっている間は目立たなくても、都合が悪くなればな
るほど一人一人のエゴが表面化して二進も三進もいかないこ
とになります。エゴとエゴを都合よく両立させる処方箋なん
てどこを探してもあるはずがないのです。
大体がデフレやインフレもどうして発生し、どうすれば収束
するかも碌に解明できないのです。ケインズは解決法を示し
ましたが、既成の学説に相反するもであったので屑箱にポ
イ捨てされ、その挙句に破れかぶれで世界大戦という愚行に
走ってしまったのです。
おまけで言えば、財務省の人たちは(東大)法学部出身で、
経済には素人同然で、関心があるのは国の経済状態より、
国庫の財務状態なのです。視野がとても狭いのです。
冷たいヒステリーで、思想を全く理解せず、勉強といえば、
事実学の羅列=パターン知と丸暗記でしかない。成績優秀
者ほど「本質バカ」でしかないのがわが日本の現実ですが
(東大病という精神の病)、「技術知」だけをためこんで
《思想を育てる》ことのできない人間では、生きている意
味・価値に乏しいのだと思います。
パラダイムシフトの時代には、技術知は無力で、思想の力で
しか未来をひらけないでしょう。スタグフレーションを契機
にして経済のあり方を根本的に問い直す時代が来ているよう
な気がします。ですから、スタグフレーションはこの世の終
わりでなく、むしろ始まりだと考えるべきなのです。
まして世は金融資本主義の真っ盛りで、そういう主客転倒の
社会状況がいよいよ問題をわかりにくくしているような気が
します。
そもそもが金融資本主義などと勿体ぶった表現になっていま
すが、それはなんてことはない、言い換えれば金貸し資本主
義以外の何者でもありません。
金貸しといえばどうしても思い出すのが、あのシャイロック
です。鷲鼻の強欲なユダヤ人である、あの人物です。
シェイクスピアの時代(16世紀後半)には金貸し(金融)
ほど忌み嫌われていたものはなく、それがシャイロックとい
う人物像になったのでしょう。そのシャイロックが今の金融
資本主義の元祖、本家本元であることはもう疑う余地のない
事実であると僕は思います。いやいやそれどころか、現代の
シャイロックである銀行や投資家と比べれば400年前のシャ
イロックなんて他愛のないものです。まして金貨が紙幣にと
って代わり、信用創造とやらで架空のおカネを貸しまくって、
利息や配当で巨大化し、世界の支配者然となっているので
すから、何をかいわんやといったところです。
ではどうして金貸しが嫌われたかといえば、何か得体の知れ
ないものだったからなのでしょう。
当時の富といえばどんなものだったのでしょうか?それは、、、、、
田畑や牧場や森や羊の群れや城や村、胡椒や紅茶を満載した
船や葡萄酒で溢れそうな貯蔵庫などなどのことでした。いつ
でも目で見、手で触れ、匂いを嗅ぐことができるものでした。
それは目に見えて手で触れるものでした。
それに対しておカネとはモノでもなく、文字が書かれた一片
の紙切れに過ぎなかったのです。何かの怨霊のようにどこか
らかぬ〜と現われては借金のカタになにもかもをかっさらっ
ていく薄気味悪いものだったわけです。、、
この危機を乗り越えるには「偉大なるアマチュアリズム」
つまり頭が硬くてご都合主義の経済学者や欲の皮の突っ張
った資本家や実業家ではなく、偉大なる商人(あきんど)
がいればいいのだと思います。
むかしから私たちの国では労働という言葉はなく(明治以降
の外来語の和訳みたいなもの)生業(なりわい)といってい
ました。生業によって確かに対価を得て、それで生活をして
いくのですが、お金儲け自体が目的なのではなく、いい仕事
をした報酬としてお金が入ってくるという感覚でした。
ですからいい加減な仕事ばかりしていると信用をなくし、信
用をなくしますと仕事が入ってこなくなり、生計が立たなく
なります。その背景にあるのは自分がされて嬉しいなと思うこ
とを他人にもするという思いです。いいもの、美味しいもの
長持するものを、できるだけ安く提供する。少しくらい景気
が陰っても余力がある限り、給与を下げず、使用人を解雇せず
値上げをせず、下請けの面倒を見、みんなの力を合わせて危機
を乗り越えるという気概が必要なのです。
そういう思想はお金儲けばかりが先走ったビジネスの世界で
は育ちようがありません。エゴとエゴを都合よく両立させる
処方箋なんてどこを探しても見つかるはずがないのです。、、
最後にいっておきますが、地球の破滅は決してSFなんかで
はないのです。そして破滅させるのは余人ならぬあなた自身
なのです。自分だけが助かればいい、というのではなく、死
なばもろともという気持ちになった時道が開けるような気が
します。



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Posted by 熊本の結婚相談所むつみ会 at 06:56│Comments(0)社会問題アカデミー
 
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