2024年02月13日
禍いの科学

禍いの科学
帝のいない国はなかった。帝は常に神と繋がっていた。
国は神話の上に成り立っていた。長い間人々は神を畏
れ敬っていた。しかし、そんなステレオタイプはダーウ
ィンの進化論あたりから崩れ始めた。それを人々は科学
と名付けた。
科学的な合理主義によって人々は神話から、あるいは呪
術の世界から解放された。人類は神によって創造された
のではなく、ゴリラから1%だけ進化してヒトになった。
そうやってヒトは自由を獲得した、、、はずだった。
そうやって初めてヒトはヒトとなった、、、はずだった、
のだが、現実はどうなったかというと、それは新たな神
話の、新たな呪術の始まりでしかなかった。
進化の頂点に君臨し始めるやいなや今度はヒトという
”種”が神になってしまったのだ。地球という生態系の(絶
対的な)支配者、百万に及ぶ生物種の支配者となり、やり
たい放題の暴君となってしまった。
つまり科学はわずか1%の生物的進化をもって人類を神の
玉座に祭りあげてしまった。いや正確には科学が、ではな
く科学者が、であるのだろう。科学とは何であるのかが多
分ヒトにはわかっていない。それはおそらく自然であり、
宇宙であり、あるいは宇宙の果てでであり、生であると同
時に死でもあるのかもしれないし、そうでないかもしれな
い。
忘れてならないのは、科学イコール科学者では断じてない、
ということ。科学は深淵そのものであるのだろうが、科学
者はたかが1%の進化そのものであり、職業という生業であ
り、生臭い人間世界における特定の社会的地位でしかない
ということである。したがって科学者が必ずしも科学的で
あるとは言えないし、ひょっとすると非科学的な科学者だ
っているのかもしれない。
念の為に付言しておくと、以上はあくまで西洋の物語であり
そのほかの文明圏の物語ではない。中国はほんの百年前ま
で帝たちの国であったし、中近東やアフリカ大陸の多く
(ほとんどが遊牧や狩猟の民族、農耕民ではない)にはそも
そも国というもの自体が存在していなかった。植民地時代が
終わったとき、有力な民族の首長たちが西洋人のアドバイス
によってパズルのように分割したものだった。
したがって、西洋以外の国々では科学を核にした物語ではな
い物語があるのだろう。ひょっとするとそこには近代の神話
や呪術に毒されていない人々がいるのかもしれない。
だとすれば、西洋が没落した後の二十一世紀には、私たちの
思いもよらない未来が待ち受けているのかもしれない。
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