2023年11月06日
口は災いの元 (ヨーロッパ精神の終焉)

口は災いの元
(ヨーロッパ精神の終焉)
ヨーロッパ的精神とは、おしゃべりスピリット、日本語で
いえば井戸端会議みたいなもんか。洗いざらい言葉にして
しまわないと気が済まない。朝な夕なにI love youをいいま
くってよくくたびれないもんだとよく思う。その割には離
婚が当たり前の社会になっているのはなんかのジョーク?
言語とはただの出鱈目な記号に過ぎないのに、少しでも使
い方を間違えると大変なことになる。フィクションの宝庫
になって、自我の大切さを声高に訴えるのと裏腹に、自分
でつくったフィクションの中の役割を演じるだけの、間抜
けな存在になってしまう。
フランスのロラン・バルトという人はいみじくも、
「すべての語法(言い回し、フィクション)は覇権を争う
闘争である」と喝破しているが、それを地でいったのが、
ご存知の、、”Might is wright"(力は正義なり)ってやつ。
パリの空にたかだかと掲げた自由と平等の成れの果てが
コレだったわけか。バルトさんのエスプリはキツイ。
ひとたびある言葉が覇権を手に入れると、それは社会生活
の全域に広がり、無自覚な定見となる。そして欧米人は人
類史稀に見る悪役を演じつづけた。正義の味方ヅラしてね。
”お口は災いの元”を英語に直すと
”out of the mouth comes evil”になるらしいが、アーメンと
言った口から悪魔が出てきた。
せめて聞き上手ってやつを心がけてたら植民地もなかった
し、人種差別もなかっただろう。
ニッポン人だって偉そうなことは言えない。天皇陛下万歳
の一言でニッポン国民(特に沖縄の人たちは)偉い目にあ
ったし、隣の国から生涯消えないような不信と憎悪を買っ
てしまった。それでも欧米人と比べるとずっとマシという
ものだろう。
カミュの作品が革命的だったのは、主人公が無口だったこ
とだった。ただ自分の心の声に耳を傾けた、何の言い訳も
なしにそして無口だったが故にギロチン台の露と消えた。
おしゃべりヨーロッパ文明への強烈なレジスタンスだった。
学校でも子どもたちにお仕着せのおしゃべりばかりを強制
するのじゃなく、自然の声なき声に静かに耳を傾けること
を教えないと、私たちの未来はまたもや同じことを繰り返
すハメになるだろう。
若き日の佐藤愛子さんに、一番言いたいことは書くな、
とアドバイスしたのは誰だったっけ?